幕末会津戦争へタイムスリップ
144年前の今日 慶応四年八月二十五日で
私がどうしても 話したかった人 それは‥
神保雪子
会津藩 六百石 井上丘隅の三女
藩老 神保内蔵助の長男 神保修理の妻
夫 修理は 鳥羽・伏見の戦いによって
容保公と会津藩兵の 離れかけた心(信頼関係)を
いまいちど 固く結び付けるために
(と、私は心から信じています)
敗戦の責任を一身に背負い 切腹しています
西軍が城下に押し寄せた八月二十三日
甲賀町口郭門で幼少寄合組を指揮していた
父 丘隅が、退路を断たれ すぐ近くにあった自分の屋敷に
戻ってみると 自刃の用意をしている
妻と長女 そして 雪子を見ました
丘隅は 雪子に 「お前は神保家に嫁いだ身なのだから
神保家の人々と生死を共にすべきだ」と叱り付け、家から出しました
雪子は実家を後にしましたが銃弾の飛来が激しく
嫁ぎ先の神保家までたどり着くことが出来ず西に廻りました
ここで、娘子軍と合流し 共に涙橋の戦いに
参戦したと言われています
そして 144年前の今日
慶応四年八月二十五日
涙橋近く 湯川の河原で 大垣藩が雪子を捕らえ
陣営のある長命寺に連れて来ました
そこに たまたま大垣藩陣営にやってきた 土佐藩 吉松速之助
庭に縛られている雪子を見て、どういうことなのか聞いてみると
「何も答えないので、殺すところです」
「女性を殺しても無益でしょう。助けてあげたらどうです」
「いや、これが我が藩の軍法。他藩の口出しは無用です」
というようなやり取りがありました
雪子は 吉松に
「自害しとうございます お腰の物をお貸し下さい」
と求め 吉松は大垣藩の反対を押し切り
脇差しを貸し与えました
雪子はこの短刀をもって 自害し 果てました
衣服が乱れぬ様 正座した膝を結び...
鮮血が飛び散り あまりにも壮絶なその姿に
大垣兵らは戦慄し 正視することが出来なかったといいます
神保雪子 享年二十六才
夫も切腹し 父も義父も家族もみな二十三日の戦火の中 自害し
最後に自分自信さえも 壮絶な自刃を果たした
あまりにも不憫で悲しい女性です
ここからは私心です...
天国の雪子さん 間違っていたらクレームくださいね
この日の雪子さんの『心』は もはや身体には無かったと思います
愛する夫の無念の死を見送り
その夫が一番 危惧していた状況に
こうなることだけは避けたくて奔走した状況に
会津が 今まさに遭遇している
やっと夫のもとに逝けると決意した時に
生まれ育った家からも
実の親からも
それさえも許してもらえずに追い出され...
この日の雪子さんの『心』はもはや身体には無かったと思います
大垣藩に捕えられた時も
首をはねられようと 陵辱されようと
この日の雪子さんにはもうどうでもよかったんだと思います
そこに偶然来た 吉松さんの言葉で
雪子さんは 武士の妻 『神保修理の妻』であることを
思い出すことが出来たんじゃないかと思います
身体に『心』が帰ってきたんじゃないかと思います
最後に 会津武士の妻として
神保修理の妻として
凛とした死を遂げられたこと
吉松さんに感謝していると思います
私も 関係ないのに 吉松さんに感謝しています
私にとって 思い入れの強いこの女性の事を伝えたくて
文字ばかりになって申し訳ありませんが
今日は その②を書きました
これも 戊辰戦争の悲劇です
以上 144年前の八月二十五日からでした