~はじめに 平成二十四年の今日から~
今日で あの日から1年6ヶ月の月日がたちました
あっという間だったような 遠い昔に感じるような‥
あの日に戻れるまでには まだまだ時間がかかります
あの日のまま 時間が止まったままの方々も
まだまだ たくさんいます
そんな中で 私たちは
自分に出来る事を これからも しっかりと続けていき
一歩一歩 前を向いて 歩いて行きたいと思います
たくさんの方々の 暖かい心と 心からの応援が
私たちに勇気と元気と力を与えてくれました
ありがとうございます
心から ありがとうございます
これからも よろしくお付き合いください
さぁ!今日も144年前にタイムスリップしてきますねー
\(^o^)/
★幕末へタイムスリップ
幕末戊辰 会津戦争へのタイムスリップ
144年前の今日 慶応四年九月十一日
米沢の降伏により 孤立状態の会津ですが
お城で籠城を続ける容保公のためにも
まだまだ負けを認める訳にはいきません
この日も城外では 必死の戦闘が繰り広げられました
★家老 萱野権兵衛が、塩川の兵を集めて部隊を再編し
更なる城外戦に対する体制を整えました
★喜多方 熊倉に西軍が侵攻し、同地にいた会津軍は
総力をあげてこれを迎撃。西軍は敗走しました
★佐川官兵衛は、鶴ヶ城中の食糧が欠乏しているとの情報を得て
自ら 砲兵隊や朱雀隊などを率いて高田に出陣
食糧を確保して城中に送りました
慶応四年九月十一日の会津です
そして、今日は この方について 人物探訪してきました
★人物探訪 『梶原平馬さん』
今回も 一般的にはあまり知られていないかもしれませんが
会津の歴史を語る上で 欠かすことの出来ないこの方を紹介します
会津藩最後の主席家老
【梶原平馬さん】
天保十三年に会津藩家老
内藤信順の次男として生まれ
名門 梶原家の養子に入りました
最初の妻は 山川大蔵さんの姉 二葉さんです
慶応三年正月に主席家老に就任
それからは 激動の幕末に巻き込まれ
文字通り会津藩最後の主席家老として
会津藩存亡が 若き家老 平馬さんの双肩にかかりました
武芸・学問に秀で 容保公が京都守護職に任じられると
その側近として上洛し、容保公を支えました
鳥羽伏見で破れ 容保公が会津に帰国した際は
平馬さんはそのまま横浜に残留し
武器弾薬の買い付けに奔走しました
そして、長岡藩家老 河井継之助さんと共に船でそれを運び
新潟港から陸揚げし、帰藩しました
梶原さんの最大の功労は『奥羽越列藩同盟』の成立です
帰藩後、庄内藩と近づき 米沢藩や仙台藩を動かし
この同盟の締結に尽力しました
籠城戦中は城内で内政を行っていた平馬さん
バリバリの主戦派で
最後まで徹底抗戦を訴え続けた方です
恭順派の家老西郷頼母さんとは
ことあるごとに対立していたと思います
降伏・開城時には文字通り
会津藩最後の主席家老として
軍事奉行添役秋月悌次郎さんらとともに
開城式に臨みました
開城後は東京に幽閉されますが、その間にも
藩主容保公の助命嘆願に努めました
その後 斗南藩→廃藩置県後の青森県庁
そこから後、消息が分からなくなっていましたが
近年 根室市に墓があることが分かりました
会津戦争を語る上で欠かすことの出来ない平馬さん
大河では 池内博之さんが演じます
『八重の桜』で、会津最後の主席家老が
どのような活躍を見せてくれるか 楽しみです
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