幕末戊辰 会津戦争へのタイムスリップ
144年前の今日 慶応四年九月十六日
西軍の鶴ヶ城総攻撃三日目
今日も雨の様に砲弾が降り
死傷者の数が増えるばかりの鶴ヶ城です
これに対し 会津も頑強に抵抗を続け
今日もお城の内外で 必死に応戦しています
が...
この日
西軍の参謀 板垣退助は
既に降伏していた米沢藩を通じ
会津藩主 松平容保公に降伏を勧告しました
これを受け 容保公は重臣を集め
恭順のことを議論しました
なお徹底抗戦を説く者が多く
議論はまとまりません
西軍十万 対して城内の兵は三千
しかも一ヶ月に及ぶ籠城で 弾薬 食糧も乏しくなり
兵も皆疲れきっています‥
既に二千余人(うち婦女子二百余人)
がこの籠城戦で死亡しています
それに追い打ちをかけるような
一日数千発にも及ぶ砲弾の雨
もはや城内には 亡くなった方々を埋葬する
場所も残っていません。。。
また 苦しんでいるのは藩士や家族ばかりではありません
領民たちもまた 家を焼かれ 財を奪われ
山野をさまよい はるかに鶴ヶ城を望みながら
砲煙がやむ日を
平和な日常が戻る日を待ちかねています
鶴ヶ城の落城が近いことを
告げています‥
容保公の心も 揺れています。。。
籠城二十五日目の鶴ヶ城の今日でした。。。
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