幕末会津戦争へのタイムスリップ
144年前の今日 慶応四年八月二十八日は
娘子軍が戦火をくぐり抜け 無事入城を果たしました
入城後 竹子さん優子さんの母 中野こう子さんと八重さんの間に
こんな会話があったそうです
『あなたはなぜ、娘子軍'(婦女薙刀隊)に入らなかったのですか?』
『私は、銃で戦おうと決めたので、薙刀隊には入りませんでした』
入城後の中野こう子、優子さん達娘子軍は、傷兵の看護や
食料の炊出しに励み、非戦闘員として大いに活躍しました
娘子軍は再び薙刀をとって戦場に立つことはありません
女性達の様子について、調べてみました
籠城女性を調べると 照姫の存在の大きさを知ります
容保公の義姉にあたる照姫は
戊辰戦争の際 鶴ヶ城内にあって
籠城五百人余りの婦女たちの崇敬の的として
彼女達の集団的行動を支えていました
籠城の際に活躍した主な婦人を調べると
そのほとんどが なんらかの点で
照姫に結び付いていました
昼は負傷兵の看護をしたり炊出しをしたりしています
また、八重さんは 照姫の『御側約心得』を拝命しています
籠城中の藩士の妻・娘達及び奥女中は
照姫の統裁下に
★傷病兵の看護★炊事★弾薬製造
そして、★発火砲弾の処理 などの役割を担っていました
また 彼女達はみな 懐剣を持っていて
いざという時には城を枕に殉死する覚悟をしていました
籠城以来、毎日のように城内に砲弾が飛び交う中
会津藩の婦女たちは、平気で活動し
弾丸が飛んでくるごとに首をすくめている男のことを
笑っていたといいます
彼女達もまた
刀や銃を持たずとも 照姫のもとで
気丈に戊辰戦争を戦っていたのですね
コメントする