2013年7月アーカイブ

7月最終日

今日も雲に覆われている会津

明日から8月だというのに

梅雨のムシムシが続いています

 

7月の最後の日に私が訪れたのは

私の大好きな人のお墓参り

130731七日町駅.jpg

七日町駅前通りの斜め向かいにある

このお寺

130731阿弥陀寺入口.jpg

もうすっかりお馴染みですよね

このブログでも何度も登場している

阿弥陀寺です

130731阿弥陀寺本堂.jpg

まずは本堂に参拝

そして戊辰戦役で殉死された

会津藩士の墓に合掌

130731戦死墓.jpg

そのあと訪ねたのは

当然このお方のお墓

130731藤田家墓遠景.jpg

130731藤田家墓.jpg

藤田家之墓

このブログを読んでいる方で

もう知らない人はいませんね

新選組三番隊組長

斎藤 一 さんの墓

130731藤田家墓拡大.jpg

斎藤一さんは戊辰戦争時には

山口次郎と名乗り

戊辰戦争終了後は

藤田五郎の名で会津藩士として

その後の人生を送りました

今はこの墓で 妻 時尾さんと

一緒に眠られています

130731藤田家墓誌.jpg

今月は今回が

最初で最後の参拝となってしまいました

斎藤先生 御無沙汰して

申し訳ありませんでした

深く深く 合掌...

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

昨夜から降り続いている雨で

各地で土砂災害等をもたらしている模様です

只見では国道252号線が

また被害を受けているようです...

被害がこれ以上ひどくならないことを

切に願います

 

今日は一枚の写真の紹介です

いつも見慣れた風景のはずなんですが

この日はいつもと違って感じられ

思わずシャッターを切った私でした

130726サイズダウン.jpg

山がぐっと近く 大きく見え

幽玄な景色をかもし出しています

思わず しばらく見とれてしまい

シャッターを切ったのはこの一枚だけ

 

大気の状態が不安定で

空気がレンズになって遠くの景色を

ぐっと近づけたのでしょうか?

それとも、いつもと違うと感じた

私の勘違いだったのでしょうか

 

まるで水墨画のような

この景色の答えを知っているのは

自然だけですね

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

『こづゆ』

会津を代表する郷土料理です

2013_0307_162350AA.JPG

会津各地で愛されているこづゆ

地域や家庭により

味付けや具に少し違いはありますが

 

冠婚葬祭や正月など

お祝い事の膳には欠かせない

会津のソウルフードです

 

藩の再興がかなえられたという

山川大蔵の報告に喜び

その日の山本家の膳に

こづゆが出てきた意味

そして、八重さん大蔵さん達が

そのこづゆを涙しながら食べた意味

 

その意味がすごくよく分かり 涙が溢れた

昨日の八重の桜でした

 

きっと昨日の放映では私は

他の方々と涙腺ポイントが

違ってましたね(^_^;)

 

こづゆで号泣してしまった

根っからの会津人の私でした(^_^;)

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

午前中はなんとか持ったけど

午後は強い雨が局地的に

降ってきました(>_<)


天気がイマイチだと

気持ちもイマイチ乗れませんねー

(´・ω・`)

 

そんな時は癒しが必要です(ノ*´∀`)ノ

という訳で本日は緊急企画

『動物に癒されちゃってください♪』

やってきたのは猪苗代町

『磐梯南ヶ丘牧場』

130725看板.jpg

牧場から見える景色も

130725風景.jpg

やっぱりパッとしませんねー(´・ω・`)

気持ちを切り替えて

動物に癒されにまいりましょう(^-^)

牧場というくらいなので

牛さんや

130725牛.jpg

馬さん

130725馬.jpg

豚さんや

130725豚.jpg

山羊さん羊さんなど

様々な動物さんがいます(⌒-⌒)

130725山羊羊.jpg

あ!この子山羊ちゃん

130725子山羊.jpg

アルプスの少女ハイジの

ユキちゃんに似ていませんか(⌒-⌒)

中にはこんな変り種も ヾ(゚□゚;)ノ

130725孔雀.jpg

う...ちょっと...

なんで怖い顔でにらむの? ヾ(゚□゚;)ノ

そして、今回癒してくれる主役はこちら!

130725うさぎ6.jpg

うさぎちゃん(ノ*´∀`)ノ130725うさぎ5.jpg

梅雨空に負けず元気に飛び跳ねています♪

130725うさぎ4.jpg

ププッ(´∀`*) 個性的なお顔(^-^)130725うさぎ2.jpg

うさぎってなんでこんなに

愛らしいんでしょ(⌒-⌒)

思わず笑顔になっちゃいますよね♪

130725うさぎ3.jpg

二匹で同じポーズ(^-^)130725うさぎ1.jpg

 うーん(⌒-⌒)

可愛いうさぎに癒されました

ヽ(*´∀`)八(´∀`*)ノ

うさぎちゃんに癒されて

気分も少しほんわかしたところで

今週も楽しい土日をおすごしくださいね 

 \(^o^)/

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

今日も空は雲に覆われています

今週末も不安定な天気が

続きそうな7月の終わりです

 

今日はひょんなことから調べた

廃線になった鉄道について

紹介します

 

きっかけは梅雨の風景

猪苗代町から昭和の森に向かい

風景を撮ろうと思ったけど...

130725丘から猪苗代湖.jpg

梅雨空に覆われ なんとなく

寂しい絵になっちゃうなぁ...(´・ω・`)

今日は風景撮影はあきらめようと

帰路についた途中で

なにげに立ち寄った緑の村

 

そこで目についたのがこの列車でした

130725沼尻鉄道全景.jpg

普段はこういう展示があっても

あまり気にせずに通り過ぎる私ですが

この日は風景が撮れなかったこともあり

この列車の撮影を始めたのでした

130725前から.jpg

この車両が走っていた線は

『沼尻軽便鉄道』

廃止時の正式名称は

『磐梯急行電鉄』

 猪苗代町 沼尻(ぬまじり)~川桁(かわげた)

の間15.6kmを結んでいたこの線

軽便鉄道というのは通称だったそうです

130725ディーゼル型式.jpg 当初は沼尻の硫黄鉱山から採掘された硫黄鉱石を

磐越西線まで移送するために敷設された

貨物輸送主体の線だったそうです

130725斜め後ろから.jpg

鉱石を運ぶかたわら

5つの駅と6つの停留所を設置して

住民の足として『軽便鉄道』と呼ばれ

親しまれていたそうです

この鉄道に乗って高校に通っていた

子供達も当時はたくさんいました

 

物や人の他に

夢や希望も運んでいた鉄道でした

130725客車外観.jpg蒸気機関車~ガソリンカー そして

ディーゼル機関車へと車輌も変わり

多いときは2,000人が生活していたという

沼尻硫黄鉱山周辺は

当時の猪苗代町の経済の

中心を担っていました

130725客車内.jpgこじんまりとして暖かい雰囲気の 

客車の内部

大勢の人で賑わい楽しい笑い声で

溢れていたんでしょうね 

 

昭和の名曲「高原列車は行く」は

この線がモデルになっているそうです

 

沼尻硫黄鉱山の閉山に伴い

収益の主流だった

貨物の運搬がなくなると共に

閉山で猪苗代を去った方々も

多かったためにこの鉄道の利用客も減り

沼尻軽便鉄道は昭和44年に

正式に廃止されました

 

昭和の高度成長期を支え

多くの人々に愛されてきたこの鉄道

「沼尻鉱山と軽便鉄道を語り継ぐ会」

 の皆さんをはじめ、今もその歴史を

守り、語り継いでくれています

 

「高原列車はラララララ...行くよ♪」

130725車輪.jpg

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

梅雨空真っ只中の会津の毎日

太陽をおがみたいけど

一面雲に覆われた日々が続いています

 

そんな中 南会津町田島では

800年以上の伝統を誇る

『田島祇園祭』

が昨日まで開催されていました

京都祇園祭、博多祇園山傘と並ぶ

日本三大祇園祭のひとつです

今年も行けないなぁ...

 

と思っていたのですが

23日に少しだけ覗いて見る機会が

やってきてくれたのでした\(^o^)/

130722鳥居.jpgメインの神社の大鳥居

のぼりが立っています(^-^) 

23日は祭りのメイン行事のひとつ

『七行器(ななほがい)』

日本一の花嫁行列と称される

この行列には間に合いませんでした(>_<)

でも贅沢は言いません

神社を覗いて見ると

130722神社の中.jpg行列を終えた花嫁さん達が

集まっていました(⌒-⌒)

祭りのメイン会場となる大通りは

130722大通り.jpgたくさんの露店で賑わっています(⌒-⌒)

祭りの世話人の方にご挨拶に伺うと

『ご飯食っていがんしょ!』

と お祭り料理をふるまってくれました

(((o(*゚▽゚*)o)))

130722おまつり料理.jpg

『お祭りごつぉ』(お祭りのごちそう)

と呼ばれるこの献立

古くから祇園祭に出されている

会津の伝統料理ばかりです♪

こづゆに赤飯、棒たらにニシンの山椒漬け...

いただきまーす(((o(*゚▽゚*)o)))

 モグモグ...

ごちそうさまでしたー(((o(*゚▽゚*)o)))

美味しくいただいた後は

行列を終えた花嫁さん達をパチリ♪

みんな綺麗で

写真が選べません(ノ*´∀`)ノ

と、いうわけで

一枚に美しい花嫁さん達を

ぎゅっと凝縮しました(^-^)

 会津美人の花嫁さんを

ご覧あれ\(^o^)/

2013田島祇園祭.jpg1時間足らずの短い時間でしたが

優雅で上品な祇園祭りを

味わうことが出来ました(^-^)

来年は行列の初めから見てみたいな♪ 

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

ご存知の方も多いですよね

会津若松と南会津田島方面を結ぶ

会津鉄道には

『トロッコ列車』が走っているんです

(⌒-⌒)

 

私は乗ったことないけど

先日、地元のお友達が

『今度、トロッコ列車に乗って

大内宿に行って来るんだ~♪』

と、衝撃告白をしたのでした!

 

じぇじぇじぇ~! ヾ(゚□゚;)ノ

地元のくせにトロッコ列車で

大内宿ですとー!

うらやましい(>_<)

 

あ!それなら私の代わりに

デジカメで撮ってきて~

と お友達にトロッコ列車の醍醐味を

伝えるリポーターの役目を

託したのでした(^-^)/ 

 

ここからは お友達の撮影です(^-^)

撮り方のクレームは

言わないでやってくださいね(^-^)/

130720列車.jpg

列車のドアには

ばすちゃん(ノ*´∀`)ノ

もう 可愛すぎます(ノ*´∀`)ノ

列車に入り、座席を見ると

130720座席.jpg

ほうほう(*'ー'*)

対面式でゆったりですね(⌒-⌒)

130720車内.jpg

こちらはお座敷列車かな(^-^)

畳が落ち着きますねー(^-^)/

130720壁足跡.jpg

床や壁には ばすちゃんの足跡が

可愛すぎます(ノ*´∀`)ノ

130720車内ポスト.jpg

発見!車内にポストがある!!!

実はこのポストに投函すると

ある特典があるそうです(⌒-⌒)

お友達は、私宛てに絵葉書を

投函してくれました(^-^)/

 

それでは 列車は出発(^-^)/

130720平野.jpg

しばらくは平野を走行ですね♪

 

途中、芦ノ牧温泉駅に

しばらく止まってくれたそうです

お目当てのばす駅長は

パトロールに向かう後姿しか見れず

写真には撮れなかったそうです(>_<)

しかたない!ここは、私が前に撮った

写真で代用しますね(^-^)/

121017ばす登場.jpg

寝起き?のばすちゃん\(^o^)/

 

その後、列車は再出発!

そしてここからが会津鉄道の真骨頂!

130720大自然.jpg

大自然の絶景(ノ*´∀`)ノ

130720橋.jpg

うわぁ(ノ*´∀`)ノうらやましいです

130720橋の上.jpg

橋の上で止まってくれたそうですよ(^-^)

これから緑!そして秋の紅葉と

ますます絶景になる風景ですね

(⌒-⌒)

そうこうするうち、列車は湯野上温泉に到着

お友達はこの駅で下車

130720湯野上温泉駅.jpg

そこからタクシーで

大内宿に向かったそうです

130720大内宿.jpg

いいなぁ(⌒-⌒)

列車の旅もいいですよね

私も行きたくなりました(^-^)/

 

ちなみに大内宿でお友達は

名物の『ねぎそば』を食べたそうですが

写真に撮るのを忘れたそうですヽ(;▽;)ノ

仕方ないのでねぎそばも

私が持っている写真を載せますね!

120209大内宿ねぎ蕎麦.JPGまた食べに行きたいなぁ(⌒-⌒) 

 

後日、お友達が投函してくれた

絵葉書が到着しました♪

130720消印.jpg特典とは ばすちゃんの消印でした(ノ*´∀`)ノ

ばすちゃーん(ノ*´∀`)ノ

ありがとうね(^-^)/

 

お友達にも感謝感謝です(^-^)

今度は私も乗りたいトロッコ列車の

ぷち旅行でした\(^o^)/

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

昨夜からの大雨が

各地で土砂災害や浸水などの

被害をもたらしました

これ以上 被害が拡大しないことを

切に願う今日の始まりです

 

さて

今日ご紹介するのは柳津町

柳津町といえば

赤べこ!虚空蔵尊!あわまんじゅう!

素晴しい名所は多々ありますが

今日ご紹介する場所は

『柳津森林公園』

え?そこどこ?

と思われる方もいらっしゃいますね

中には地元会津の人でも

え?そこどこ?

と思われた方もいらっしゃるかも

 

施設や遊具は撮影するのを

すっかり忘れて画像がないのですが

こんな景色が見れる場所です(*'ー'*)

130720峠の風景.jpg

柳津町の町中に入る手前

山を登ったところにあるこの公園

手付かずの自然が満喫の施設です

アスレチック・サイクリング・バーベキュー

夏休みに入った今の季節

地元の子供会や親子連れを中心に

これから賑わう森林公園ですね(⌒-⌒)

 

森林を散策すると

130720デカキノコ.jpg

デカキノコ! ヾ(゚□゚;)ノ

130720赤キノコ.jpg

なんですかぁ!これ!

赤キノコ ヾ(゚□゚;)ノ

そしてそして...

130720ヤマユリ.jpg

綺麗なヤマユリ(ノ*´∀`)ノ

やっぱり自然はいいなぁ(^o^)

 

山から見下ろした柳津町の風景

130720柳津町風景.jpg

下の赤い橋が

皆さん通っているあの橋ですよ(^-^)

 

それでは森林公園を降りて

今度はあの赤い橋の下からパチリ♪

130720赤橋.jpg

このところの雨で

只見川の色はにごっていますが

川面はやはり涼しいですね(⌒-⌒)

振り返ってみると

130720虚空蔵尊.jpg

虚空蔵尊が緑に囲まれて

今日も威風堂々佇んでいます(^-^)

 

ついでに道の駅で足湯につかり

ゆったりとした時間を満喫した柳津町でした

\(^o^)/

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

いよいよこの日を迎えてしまいました...

八重の桜第二十九話

『鶴ヶ城開城』

1ヶ月に渡る籠城戦の末

ついに会津は降伏・開城...

 

何も言うまい...

今日は ただただ

拝謁しにまいります

130717御廟入口.jpg

入口の門をくぐり

130717御廟階段.jpg

坂道を登り

そして...

130717容保公墓遠景.jpg

130717容保公墓近景.jpg

武士・農民・町民・老若男女

そして、東西に関わらず

会津、長岡、白河、秋田

京都、上野、宇都宮、甲州、函館

その他、たくさんの場所で

あの戦争に関わった

全ての人々に

合掌...

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

いよいよ八重の桜も

開城・降伏の日を迎えますね...

5回目になった、このスケッチ紀行も

今回が最終回となります

 

最後にスケッチする風景は

西軍の総攻撃開始から開城・降伏まで...

 

慶応四年九月十四日から開始された総攻撃

小田山から毎日2000発を越える砲弾が

鶴ヶ城めがけて撃ち込まれました

120731西軍砲陣跡.jpg

そして、十四日の砲撃により

家老山川大蔵の妻

登勢(とせ)さんが被弾しました

照姫様を守護していた彼女は

自分が重傷を負いながらも

照姫様の安否を気づかい

姫のご無事を聞いて安堵したと

言われています

 

夫 大蔵が駆けつける2、3時間前に

彼女は痛みに苦しみながら

息を引き取りました...

 

 

また、翌十五日の総攻撃の際には

こんな悲劇もありました

明け方の霧に乗じて 藩士の子供が

食糧調達のために城南に出て

かぼちゃをたくさん抱えて戻ってきました

 しかし、帰城の途中

小田山からの砲弾に被弾し

右大腿骨を粉砕

自分では動くことも出来なくなり

抱えられて戻ってきました

 

十五歳のその少年は

手当てする八重さんの前で 

決して泣きもせず

『痛い』とも言わずに耐えていました 

 

その時 その光景を発見した

少年の従僕が驚いて駆け寄ってきました

そして、少年のこの惨状を見て

大声を出して泣き出してしまいました

少年は泣き続ける従僕に向かい

『泣くな!武士は仕方ないじゃないか!』

と、威厳のある元気な言葉で

叱り付けたそうです

この少年は、出血多量で

そのまま死亡しました

最後まで威厳を持ち武士のふるまいを

貫き通した十五歳の最後の秋でした...

 

少年は、痛いと泣きわめくことは

卑怯な振舞だと思ったのでしょうか...

120407什の掟_edited-1.jpg

 

そして、城外でも必死の攻防は続きました

九月十七日 新政府軍は

城南の一ノ堰(いちのせき)の会津軍を

二手から挟み込む形で攻撃

 

120901一ノ堰平野.jpg

会津軍の中には

八重さんの父 権八さんもいました

この戦いで会津は破れ 権八さんも

この戦いで戦死しました

一ノ堰 光明寺

120901一ノ堰光明寺.jpg

ここに、山本権八さんの墓が

現在もあります

120901山本権八墓.jpg

一方城内ではこの日

容保公が苦渋の決断をしたのでした

『降伏をする...』

 

 その後、降伏に向けた交渉が進み

九月二十二日 正午

甲賀町通りに設けられた会場で

降伏式が執り行われました

20120722甲賀町通り.jpg

容保公は西軍の軍艦 中村半次郎の前で

荒むしろに座り 降伏状を提出

 その時西軍側には

大きな緋色の絨毯(緋毛氈:ひもうせん)

が敷かれていました

会津藩士らは、この日の屈辱を生涯忘れまいと

この絨毯の一部を切り取り

分け合ったといいます

これらを会津藩士達は

『泣血氈(きゅうけつせん)』

と呼びました

 

その後容保公は城内で藩士達に

ねぎらいの言葉をかけ

戦死者に深く手を合わせたのち

滝沢村の妙国寺に入り

謹慎の身になりました

120809妙国寺.jpg

 その後 容保公が明治の世で

表舞台に立つことは

二度とありませんでした

 

この戦争の事について容保公は

五十九歳で亡くなるまで周囲に一切を語らず

ただ、亡くなったその日まで 孝明天皇から賜った

宸翰(しんかん)と御製(ぎょせい)を

肌身離さず身につけていました

 

会津が賊軍ではなかった唯一の証です

 

あまりにも犠牲の大きかった

この戦争の結果に傷心した

容保公の唯一の心の慰みだったのでした‥

120505容保公墓2.jpg

 

 そしてお城は開城

籠城戦の間、敵の唯一人も

入城を許さなかった

名城『鶴ヶ城』の最後の雄姿です

開城前鶴ヶ城.jpg

 どんなに砲撃を浴びようと

崩れなかった、会津の誇りです

 

その後、城外戦を続けていた会津兵も

会津の降伏、容保公の謹慎の報を受け

次々と降伏。 ここに会津は破れました

 

開城のその夜

八重は涙を流しながら

月に照らされた三の丸の雑物庫の

白壁に句を書きつけました

 

『明日の夜は 何国(いづこ)の誰か ながむらん

なれし御城に 残す月影‥』

130613スーパームーン.jpg

鶴ヶ城1.jpg

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

 

今日も朝から雲に覆われた会津...

スカッと青空が見たいなぁ...

空の青と赤瓦のコラボが見たいなぁ...

 

そんなあなたのために!

用意しておきましたよー\(^o^)/

青空の下の 夏の鶴ヶ城(⌒-⌒)

 

撮影は今週16日の火曜日

快晴に恵まれたこの日でした♪

この空を待っていたのです\(^o^)/

 

八重の桜も 次回でいよいよ開城・降伏‥

開城時の鶴ヶ城は傷だらけでしたが

それでも1ヶ月にも及ぶ籠城を

耐え切りました

天下の名城 鶴ヶ城です

 

というわけで

今日は青空に映える7月最初の

美しい鶴ヶ城をお届けします

夏の鶴ヶ城をお楽しみください(^-^)

今回は廊下橋から入場!

130716廊下橋.jpg鶴ヶ城の頭が見えます(^-^)

廊下橋からお堀を見下ろすと 130716蓮の花.jpg 蓮の花が咲いていました(^-^)

そして入城

 三の丸側から上って最初に見える鶴ヶ城

130716三の丸.jpg 青い空と赤瓦が映えます

夏の鶴ヶ城もいいですねー(^-^)

写真を撮りながら

本丸に向かって歩いてみますね

130716本丸走長屋.jpg 130716本丸.jpgうーん(^-^)美しいです(ノ*´∀`)ノ

そのまま荒城の月碑脇をすぎ

麟閣裏の石垣を上ろうとすると

130716紫陽花.jpg紫陽花も綺麗に咲いていました♪

石垣に上って鶴ヶ城をパチリ!

130716麟閣裏.jpg青空!緑!!鶴ヶ城!!!

ブラボー(⌒-⌒)

石垣から廊下橋を眺めてみました

130716廊下橋横から.jpg 日差しがまぶしいです(ノ*´∀`)ノ

石垣から下りて

鉄門(くろがねもん)に向かって

てくてくパチリ!

130716鉄門内側.jpg 戊辰会津戦争時

会津藩の本陣は鉄門近くに

据えられていました

容保公もここで采配を

振るわれていたんですね 

 

鉄門の中から鶴ヶ城をパチリ!

130716鉄門外側.jpg 凛とした美しさです

鉄門を出て 鶴ヶ城公園から

鶴ヶ城を見上げてパチリ!

130716公園.jpg そして桜の回廊を抜け

西出丸の石垣に上ってパチリ!

130716西出丸.jpg 威風堂々!

天下の名城 鶴ヶ城です!

帰りに北出丸から振り返ってパチリ!

130716北出丸.jpg 言葉は不要の美しさです

(⌒-⌒)

7月に入って やっと撮れた

青空の下の鶴ヶ城

 夏の鶴ヶ城も美しいですよ(^-^)/

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

今日は一日雨模様の会津

今も雲が真っ黒です

お出掛けの皆さん

雨に濡れて風邪をひかないように

気をつけてくださいね♪

 

さて、突然ですがここで問題です

皆さんは『小野小町』さんの

お墓がどこにあるか

ご存知でしょうか?

そうです

世界三代美女と称えられた

平安時代の女流歌人

あの『おののこまち』さんのお墓です

実は小野小町さんのお墓

日本全国の300箇所以上に

あるそうなんです ヾ(゚□゚;)ノ

 

そして...なんと会津にも!

彼女のお墓があるんですよ(^-^)/

130712小町塚遠景.jpg

ここは 喜多方市高郷(たかさと)町

の峯利田(みねかがた)地区

喜多方市から西会津町に抜ける

県道のかたわらに

建っているのが、この『小町塚』です

小町塚.jpg

小町塚アップ.jpg

なんでこんな所に

あの有名な小野小町さんが?

 

言い伝えによりますと年老いた小町さんが

京都から故郷の出羽(今の山形・秋田)

に帰る途中 この村で病に倒れ

そのまま亡くなったそうです

 

また、この小町塚と道を挟んだ向かいには

『化粧清水』と呼ばれる池があります

130712小町化粧清水.jpg

ここは、小町さんがお化粧する際に

鏡にして水面に自分の顔を映したと

伝えられている清水です

 

もちろん 他の300以上のお墓にも

色んな言い伝えがあって

小町さんが没したと伝えられている

場所だと思います

 

いったい小町さんは何回

亡くなっているんですかー!ヽ( ・`ω・´)ノ

本当に小町さんが眠られているお墓は

どれなんですかー!ヽ( ・`ω・´)ノ

とか、言いっこなしですよ(⌒-⌒)

これだから歴史は面白いんです(^-^)/

 

ここはケンカせず それぞれが

それぞれの地元の言い伝えを信じ、

守り、伝えていきましょうね(⌒-⌒)

 

ちなみに会津では小町さんのお墓は

ここひとつだけだそうです(^-^)/

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

昨日とは一転、曇り空の会津

今にも降り出しそうな空模様です

気温も昨日ほど上がらないようなので

すごしやすい1日になりそうです(⌒-⌒)

 

さて、今日は昨日に引き続き

西会津町についてご紹介します

 

今日ご紹介する場所は『鳥追観音』

昨日のブログで紹介しなかった訳は

この神社にとってもときめいてしまい

ここの紹介だけで とっても長くなると思い

今日、別枠で紹介することにしたのです(^-^)

 

国道49号線から大山神社方面に向かって

坂道を上ること数分

130712鳥折観音.jpg

鳥追観音があります

『会津ころり三観音』のひとつ

ちなみにもうふたつは

130705立木観音.jpg130611中田観音.jpg

左の会津坂下町『立木観音』

右の会津美里町『中田観音』です

 

みっつの観音様をお参りすると

一生を健康にすごした上に

長患(わずら)いしないで

ころりと安楽往生出来るとの

願いを込めた信仰だそうです

 

実は今回わたしがときめいた

ポイントは『ころり』の方ではなく

他に多数あったのでした(⌒-⌒)

まずは観音様から門まで戻りましょうね

130712鳥追観音仁王門.jpg 駐車場から入ると まず目に入るのが

この『仁王門』

門に入り まずは左側の奥を覗くと...

130712仁王左.jpg  ヾ(゚□゚;)ノ ヾ(゚□゚;)ノ ヾ(゚□゚;)ノ

 

次に右側もおそるおそる覗くと...

130712仁王右.jpgヾ(゚□゚;)ノ ヾ(゚□゚;)ノ ヾ(゚□゚;)ノ  

 

なんて怖い仁王様 ヾ(゚□゚;)ノ

この二体の金剛力士像様が

長きに渡って観音様を

お守りくださってるんですね(⌒-⌒)

ここが私のときめきポイントの1

 

門を入ると可愛い小僧さん達が

出迎えてくれます(⌒-⌒)

130712案内小僧.jpg あんない小僧

しんせつ やさしい心

 

130712掃除小僧.jpg そうじ小僧

おてつだい ほうしの心

 

130712合掌小僧.jpg がっしょう小僧

しあわせ いのりあう心

 

なんて可愛い小僧さん達(⌒-⌒)

ここが私のときめきポイント2

 

そして、本堂の階段に上る手前

支柱を支えるふたつの石

130712女石.jpg130712男石.jpg

 左が『女石』右が『男石』

夫婦石なんですね

仲良く観音様を支えているんですね(^-^)

これが私のときめきポイント3(⌒-⌒)

 

そしてきわめつけはお堂の彫刻!

あの 左甚五郎作と言われる

隠れ三猿が彫られているのです( ・`ω・´)b

と、言っても、日光東照宮の

『見ざる・言わざる・聞かざる』

とは違うんですよ( ・`ω・´)b

 

鳥追い観音の三猿は

『隠れさる』『逃れさる』そして

『安楽に暮らしさる』

の三猿なのです

鷹に襲われ、危機から『隠れ猿』

鷹は猿を見失い、危機を『逃れ猿』

手枕で安心して眠る『安楽に暮らし猿』

 

この猿を探すのは『心の目』

迷っている人には見えないそうです

これは大変です ヾ(゚□゚;)ノ

私もぜひ見つけ出さなくては( ・`ω・´)b

130712猿2.jpg隠れ猿発見!右下に隠れている猿でしょ!

 

130712猿1.jpg逃れ猿発見!左下にいる猿に

鷹は気付いていません!

 

そしてそして! 

 探すこと約20分...

分からな~い...(ノω・、)

 私の心は迷っているんだぁ~(ノ◇≦。)

 

西会津町の取材時間が無くなるので

泣く泣く安楽に暮らし猿の捜索をあきらめ

こうして私は鳥追観音をあとにしたのでした

 

心の迷いを消してから

またチャレンジしますね( ・`ω・´)b

 

あ!このブログを読んでくださった方で

ここだよ!というアドバイスは

不要ですのであしからず!

心の迷いを消したあと

自分の力で見つけ出したいと思います( ・`ω・´)b

 

皆さんも機会ありましたら

安楽に暮らし猿を探してみてくださいね(^-^)

これが私のときめきポイント4

 

 いかがでしたでしょうか(⌒-⌒)

 以上 鳥追観音にときめいた

この日の私でした(^-^)/

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

晴れ\(^o^)/

久々に青空が広がる会津です

まだ梅雨明けはしていませんが

今日は梅雨の中休み

1日好天に恵まれそうです(⌒-⌒)

 

本日は西会津町の今を紹介します

新潟県下越方面と

北会津方面の県境の町

耶麻(やま)郡 西会町

どんな町でしょうか

さっそくしゅっぱ~つ(^-^)/

 

会津若松から国道49号線を西へ西へ

途中会津坂下町を通過...

する前に

130712竹子さん墓.jpg

会津坂下町 法界寺にて

中野竹子さんに合掌...

今日も綺麗な百合の花が

供えられていました(⌒-⌒)

 

会津坂下町をあとにして進むと

130712七折峠トンネル.jpg

このトンネル『七折峠トンネル』といいます

会津坂下町と柳津町を結ぶ道路は

昔はこの山を越えていました

『七折峠』と呼ばれるこの峠

交通の難所でした

特に冬場は大変な道

この、約1kmのトンネルが開通して

と~っても便利で安全になりました(^-^)

坂下と柳津が一気に身近になりました(^-^)/

 

トンネルを越え 柳津町方面には曲がらず

国道49号をまっすぐ降りると

130712藤大橋.jpg

前方に大きな橋が見えます

只見川を通過する『藤(ふじ)大橋』です

昔の藤大橋を知っている方は

『おや?色が変わったね』

と、お気づきになったと思います(^-^)

 

藤大橋を越え、山道を走り続けると

今回の目的地西会津町に到着!

130712野澤駅.jpg

JR磐越西線 野沢駅

駅舎は昔と変わりありませんが

130712野澤駅前.jpg

駅を背にして見る風景は

相当変わったような気がします(。・ω・。)

やっぱり時間が流れているんですね

でも、昔からある鉄橋は相変わらずの風景です

130712野沢鉄橋.jpg

ここも、SLが走る時には

撮影スポットになっているのかな(^-^)

さてここから次に向かったのは

130712道の駅よりっせ.jpg

道の駅にしあいづ『よりっせ』

綺麗な新しい道の駅です

中を覗くと

130712がんばれ地蔵.jpg

『うん(⌒-⌒)がんばるね!(^-^)/』

 

西会津町は 福祉の町として

全国的に有名です

130712さゆり公園.jpg

ちょっと撮影ポイントを間違えてしまい

全然何もないように見えますが

ここ『さゆり公園』には

温泉施設、体育館、プール、競技場

野球場、子供の施設、老人の施設などなど

多種多彩な施設が集合しています

福祉の町の本領発揮のエリアです(⌒-⌒)

左に見えるゲートみたいな所が

子供達の遊び場なんですよ(⌒-⌒)

 

ここから、今度は西会津の山村部へ

! 途中、またもや遭遇!パチリ!( ・`ω・´)b

130712列車.jpg

あれ?ちょっとぶれてた(´・ω・`)

スマホで撮ってツイッターに載せた

写真の方がくっきり撮れていたのね(>_<)

 

最近、すっかり列車づいている私

線路を撮ろうとすると

結構な確率で

列車がやってくるんです(^-^)

都会と違い、1時間2時間に

1本のローカル線でこの確率

撮り鉄運が高いんです(^-^)/

 

ここから更に山のほうに向かうと

130712国際芸術村.jpg

私の好奇心をくすぐる

小学校の旧校舎を利用したこの建物

『西会津国際芸術村』だそうです

すごく興味がある!中を見たい!

この日はとっくにクローズの夕方だったので

中の様子が分かりませんでした(´・ω・`)

 

いつもは中を見させてくれるのかな?

今度またトライしよ!

 

さらに山に向かって走って走って走って...

...山奥すぎて怖くなりました(ノω・、)

迷わずUターン ヾ(゚□゚;)ノ

山奥でUターン途中に発見!

そこに咲いていたのは

130712どくだみ.jpg

真っ白で可愛いどくだみの花

ツイッターを見てくれたフォロアーさんが

花言葉を教えてくれました

『白い追憶』

奥の深い花言葉ですね

匂いと名前を除けば

とっても綺麗な花です(^-^)

 

Uターンしてやっとふもとまで戻って

風景をパチリ

130712農村風景.jpg

美しい山村の風景です

さらに国道に戻って 飯豊山をパチリ

130712飯豊山.jpg

言葉は不要の美しさです(^-^)

 

西会津町

みそラーメンと桐下駄で有名な

新潟県境の町

とっても素敵な町ですよ(⌒-⌒)

 

今日は長いブログになってしまいました(>_<)

でも、もう一箇所、私がときめいた場所が

あったのです(ノ*´∀`)ノ

その場所の紹介だけで、さらに長くなってしまうので

それは明日のブログで紹介しますね(^-^)

以上、西会津町からでした(^-^)/

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

昨日の八重の桜も

緊迫の籠城戦が繰り広げられました

八月二十九日

長命寺の戦いにおいて

1,000名の精鋭が

米沢に血路を開くために出陣

総督の佐川官兵衛の寝坊という失態もあり

好機を逸した会津は大敗を喫しました

 

そして九月十四日

新政府軍による鶴ヶ城総攻撃が

この日から始まりました

連日二千発を越える砲弾の嵐に

鶴ヶ城は必死に耐えるのでした...

 

今回は、緊急のスケッチ紀行をお届けします

時間に限りのある大河ドラマです

全てのエピソードを紹介しきれないのは

仕方ありませんよね

なので、今回のブログは長命寺の戦いから

鶴ヶ城総攻撃までの十五日間について

八重の桜で伝えきれなかった

エピソードについて

スケッチ風画像でご紹介いたします

 

仙台に向かった土方歳三と袂を分かち

会津に残って共に戦う事を誓った

新選組 斎藤一は

会津北部戦線に向かい出発

120630陣ケ嶺峠.jpg陣ヶ峯の戦い

120828山都木曽.jpg 木曽の戦いと

新政府軍と連戦し敗れました

 

この日、九月四日

仙台藩と共に奥羽越列藩同盟の

中心にいた米沢藩が降伏

会津の孤立は深まりました

 

新選組は高久村の戦闘に加わるため

若松方面に移動

神指(こうざし)城跡の如来堂に到着しました

120630如来堂2.jpg 

話しは一旦飛びます

長命寺の戦いに敗れた佐川官兵衛

城外で反撃のチャンスを待ちます

そこに、先日の関山の戦いに勝利した

新政府軍が本郷から鶴ヶ城南方に

進行してくることを知り

奇襲作戦を計画しました

場所は材木町

120725秀長寺入口.jpg住吉神社や秀長寺などに

兵をひそませて待機

行軍してきた新政府軍に

一斉に攻撃を開始しました

ふいを付かれた新政府軍は

一旦は総崩れとなり 体制を立直す前に

会津軍は新政府軍が遺棄した

鉄砲や弾薬、食糧などを得て

鶴ヶ城に引き返しました

この戦いは

住吉河原の戦い(材木町の戦い)

と呼ばれ、城下で会津が唯一勝利した戦いでした

120725会津戦勝地跡.jpg

話しを戻します

住吉河原の戦いと同じ日

慶応四年九月五日

鶴ヶ城の北 如来堂を守っていた

斎藤一率いる新選組十三名は

周囲を三百名の新政府軍に囲まれ...

120523如来堂提灯.jpg 熾烈な血戦の末...

 

『今落城せんとするを見て

会津を見捨てるのは誠義にあらず!』

最後まで会津と共に歩んでくれた

斎藤一ら新選組の会津戦線は

ここに幕を下ろしました...

120829如来堂_edited-1.jpgそして、鶴ヶ城には

最後まで正確に時を告げることで

新政府軍と戦った 無名の勇士もいました

120731鐘撞堂.jpg時守(ときもり)

どんなに砲弾の嵐を浴びようと

毎日正確に時を告げ続けた時守達

開城のその時まで

鶴ヶ城から時を告げる鐘が止むことは

決してありませんでした

 

この鐘を聞くことにより

城外で戦う藩士達はお城の無事を知り

殿の無事を知り、勇気づけられました

これも会津の意地!

時守達に拍手喝さいです! 

 

 そして八重の桜は次週

開城・降伏へと向かっていきます

しっかりと 目をそらさずに

見守ります!

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

今日は朝から雨の会津

そのおかげで?涼しい朝になりました

今日から3連休の方も多いと思います

今週の暑さで疲れた身体を癒すと共に

楽しい連休でリフレッシュしてくださいね(^-^)

 

さて、今日は

会津戦争スケッチ紀行をお贈りします

早いもので このスケッチ紀行も

3回目になりました

今回は 前回の小田山の攻防の後

まずは長命寺の戦いからお贈りします

 

小田山奪還に失敗した会津藩

連日 雨の様な砲弾が

鶴ヶ城めがけて撃ち下ろされています

新政府軍は城の北・東・西

三方を制し わずかに残された南口も

次第に圧迫されていきました

 

このままでは埒が明かない

城内には 彼岸獅子入城を果たした

山川大蔵隊を筆頭に

国境の守備から戻ってきた

各隊により 戦力は充実しています

 

そこで城外に活路を開くため

慶応四年八月二十九日明け方に

家老 佐川官兵衛を総督として

精鋭部隊1000名の出撃が決定しました

 

出陣前夜 容保公から隊員一同を励ますために

お酒がふるまわれ 官兵衛には

容保公の手から政宗の名刀を賜りました 

これに感激した官兵衛さん

少し酒をすぎ

連日の戦の疲れも出たのか

酔い潰れてしまい

出陣に寝過ごしてしまいました

 

予定より遅れて出陣し

新政府軍を長命寺まで追い詰め

途中まで優勢に戦を運んだ会津でしたが

120824長命寺庭.jpg 土佐の援軍が新政府軍に付き

形成は逆転

長命寺に立てこもっていた会津隊は

猛烈な銃撃を浴びて敗退

120515長命寺壁_edited-1.jpg 会津軍は多くの戦死者を出し

この長命寺の戦いに破れました

戦死者の中には佐川官兵衛の父

幸右衛門もいました

彼の下着には

慶応四年八月二十九日討死、

佐川幸右衛門直道生年六十三歳

と書かれてていました

 

佐川官兵衛はこのままでは城には帰れぬと

手勢を引き連れて城外戦へと

身を投じていくのでした

 

 一方城の南側日光口

大内村には新政府軍が陣取っていました

130404大内_edited-1.jpg 九月一日 その大内村を東軍が襲撃

新政府軍は押され 一旦大内峠まで退きますが

翌日には進撃を開始

しかし 東軍の反撃に苦戦し

その日は氷玉峠から進めませんでした

130605氷玉峠.jpg 翌三日には新政府軍は

軍艦 中村半次郎が

直接指揮をとって進撃

栃沢~関山と、会津若松の南方

すぐそこにまで軍を押し上げました

120803関山集落.jpg この戦で東軍は やはり多くの戦死者を出し

会津美里町関山地区には

今も墓があります

130605関山四十人墓.jpg この戦いの敗北により

 会津はますます四方を固められる

ことになりました

 以上、次回は住吉河原の戦い

そして 如来堂の戦いに続きます

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

今日はぼんやりとひとりごと...

思いついた言葉を

つらつらと並べてみます

今年に入って半分がすぎたんですね

ここまでの感想は

あっという間だったなぁ

のひとことに付きます

 

このブログも ほぼ毎日

会津の今を伝えてきたつもり

多くの皆さんに

伝わってると嬉しいな♪

 

会津の今、会津の元気

そして、会津のいいとこ伝え隊

 

なるべくマンネリにならないように

手を代え趣向を代え角度を代え

会津の魅力をどうやったら

多くの方々に伝えられるかが

この半年間の私のテーマでした

 

実はこのブログには私の

モットーやこだわりがあるんですよ

読んでくださっている方々に感じて欲しい六項目

 

題して【つるかん家訓六箇条】

一 会津にもこんな場所があったんだぁ(^-^)

一 あそこは昔行ったことあるけど今はこんなになってるんだぁ(^-^)

一 地元のあの景色、懐かしいなぁ(^-^)

一 あぁ、あそこには一度行ってみたかったんだよなぁ(^-^)

一 今度会津に行った時はあそこにも行ってみよう(^-^)

一 会津はやっぱりいいなぁ(^-^)

『いいものはいいものなのです(^-^)/』

 

八重の桜も会津編はそろそろ

終わりに近付いています

会津にもたくさんの観光客の方々が

いらっしゃってくれました

 

やっぱり大河の影響の

すごさを感じながら

それでも大河ブームに

おんぶに抱っこされてる時ではないと

この半年間 八重さんの時代

幕末の動乱に巻き込まれた

会津の歴史の舞台だけではなく

他にもた~くさんある会津のいいとこを

伝えたいと 頑張ってきました

 

八重さんが京都に行ったら

会津に興味を持ってくれた方

少しは減っちゃうのかな‥

 

そんなことはないですよね

会津を大好きでいてくれている方々は

去年よりずっと前から

会津を好きでいてくれてるんだし

八重の桜がきっかけで

会津に興味を持ってくれた方々は

実際の会津に触れて

会津をもっと好きになってくれていますよね

 

そう信じながら 私のこれからのスタンスも

変わりません

これからも 広く会津を紹介して

大好きな会津を少しでも多くの方々に

知っていただき そして

もっと会津を好きになってもらえたら

うれしいな(^-^)

 

これからもこのスタンスでいいですよね?

これからも

『会津のいいとこ 幅広く伝え隊(^-^)/』

 

金曜日のひとりごとでした

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

宣伝です!(*'ー'*)

鶴ヶ城会館隣りにあります

本格フレンチレストラン

『ラシーヌ』

この夏ちょっとお洒落な

ビアホールを計画いたしました

題して

『夏のディナーブッフェパーティーinRacines』

2013夏のディナーブッフェJPG.jpg

7/19 ・ 8/9 ・ 8/24

3日限りのブッフェパーティー

ハートランド生ビール他

各種ドリンク飲み放題(ノ*´∀`)ノ

シェフ渾身のブッフェ料理食べ放題(ノ*´∀`)ノ

天気が良ければ屋外にも

テーブルを出します♪

お洒落で素敵な夜を

ラシーヌが演出させていただきます♪

満席になる前に

早めのご予約お待ちしております(⌒-⌒)

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

今日も曇り空の会津

そんな中 若松市内各地では

町内の縁日

お日市が各地で行われています

 

7月10日 この日のお日市は

130710ロイプラ前.jpg

ほおずき市(⌒-⌒)

大町四つ角 田中稲荷神社の

例祭です(*´∀`)

130710四つ角前.jpg

撮影は午後2時頃

まだまだ暑い日中です(>_<)

これから夕方になり

子供達やたくさんの人で賑わいます♪

130710ほおずきずらー.jpg

ほおずき市というくらいですから

当然ほおずきが販売されています

子孫繁栄を願うこのほおずき市

130710ほおずきくじ引き.jpg

買ってくれた方にくじ引きのサービス

そして家内安全を願って

みんなで一本〆『よーお!』パン(^-^)

130710露店.jpg

露店もずらーっと並んでいます

子供や親子連れがかけつける

これから夕方にかけて

たくさんの人で賑わいますね

(⌒-⌒)

 

つるかんからも

全国の方々にお届けします

130710ほおずきアップ.jpg

会津より全国のみなさんへ

みんなにご利益がありますように

『よーお!』ぱん(^-^)/

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

今日も雲に覆われた梅雨空の会津

皆さん熱中症に気をつけましょうね

喉が渇いたと感じる前に

こまめな水分塩分の補給ですよー!

 

さて今日は、昨日に引き続き

奥会津の今をお伝えします(^-^)

金山で偶然列車の撮影に成功し

気を良くしてさらに進むと

到着したのは只見町です

奥会津の玄関

新潟県との県境の町です

 

まずはこの方のお墓参り

130705河井墓.jpg

河井継之助さんの墓

新潟 長岡藩の家老だった彼は

北越戦争で新政府軍と戦い

傷を負って県境の八十里越え

を越えて会津の向かう途中

ここ 只見町塩沢で亡くなりました

合掌

 

お墓のある医王寺のすぐそばには

河井継之助記念館があります

130705河井記念館.jpg

...午後4時半で閉館だったのですね(´・ω・`)

次は時間内に来ますね(^-^)/

 

只見町から眺める只見川

130705只見只見川.jpg

すご~~い! ヾ(゚□゚;)ノ

まるで雲の川のようです

下の水が全然見えません!

桃源郷の様な風景に感動しながら

道路と並行して続く線路を眺めると...

130705只見線線路.jpg

...(´・ω・`)

只見線 只見駅~会津川口 間は

一昨年の水害の復旧が進まず

まだ不通状態です

列車が走らない線路は

こんなに悲しい姿になっているのです

...(´・ω・`)

 

線路を追いかけるように

只見駅に到着

130705只見駅.jpg

新潟からの列車は

ここ只見駅まで通っています(^-^)

そして、この駅のトイレを借りようとして

発見!!

130705只見駅ツバメ.jpg

トイレのドアの上に作られたツバメの巣

中には一羽のヒナが育っていました

只見の皆さんの暖かい心に見守られ

安心して育ってるんだね(⌒-⌒)

来年もまた只見に帰って来るんだよ♪

 

ほんわかな気持ちになりながら

せっかくここまで来たので

県境近くまで足を伸ばしました

130705田子倉ダム.jpg

田子倉ダム!

たか~い!!!

実は私 高いところが苦手なのです(>_<)

でも ここは報道カメラマンの使命を

まっとうしなければ(>_<)

足をがくがくさせながら

必死に撮影に成功しました(>_<) 

ダムから見下ろす只見町

130705田子倉ダムより福島方面.jpg

青空の時にもう一度見たくなる

景色ですね(⌒-⌒)

 

田子倉ダムから先は

新潟県との県境

国道252号は通称『六十里越え』

そして 三条と只見を結ぶ

昔の旧街道は

八十里越えと呼ばれています

実際は八里の道も

急峻なこの峠を越すのには

八十里にも感じるという意味で

付けられた名前です

 

河井継之助さんが越えた八十里越え

いつか歩いてみたいと思いながら

今回の奥会津レポートを終了します(⌒-⌒)

 

は! ヾ(゚□゚;)ノ

今回も、また何も食べていない(>_<)

次回は食べます( ・`ω・´)

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

蒸し蒸しジメジメ(>_<)

不快指数がとっても高い

梅雨の会津です

 

そんな中 会津のいいとこ伝え隊!

今回は奥会津の今を

伝えます(^-^)/

空は梅雨空ですが 今の奥会津を

楽しんでくださいね(⌒-⌒)

 

会津若松から向かう途中の

北会津には 観光農園がたくさんあります

130705北会津さくらんぼ.jpg

今はさくらんぼ狩りのシーズンのようです

さくらんぼ食べたい(ノ*´∀`)ノ

でも、先の長い道のりです!

ここは我慢して通過!

 

会津坂下町を通過...

する前に こちらをご紹介

130705立木観音.jpg

立木千手観音

それほど大きな神社ではありませんが

静かで荘厳な

とっても雰囲気のいいこの神社

『会津ころり三観音』

のひとつにも数えられています

 

会津坂下を過ぎ、いよいよ奥会津への

ルートの始まり!

まずは柳津町

130705虚空蔵尊.jpg

福満虚空蔵尊 円蔵寺

赤べこ発祥の地は

ここ 虚空蔵さまなんですよ(^-^)/

 

柳津町の橋の上から眺める

只見川

130705柳津只見川.jpg

穏やかな水面です

 

柳津を後にして

次に入った町は三島町

道の駅から見える絶景の只見川

130705三島只見川.jpg

空が梅雨空なのが残念(>_<)

青空ならもっと美しいのですが(^_^;)

 

三島を過ぎると 金山町に入ります

金山町から見る只見川

130705金山只見川.jpg

ふわぁ ヾ(゚□゚;)ノ

川全体に霧がかかり

とっても幻想的な風景になっています!

 

ツイッターの皆さんにも

教えてあげようと

スマホで撮影しようとしたその時!!!

ものすごい偶然で

目の前の鉄橋に列車が通過したのでした!

その時のスマホの画像がこちらです

130705金山只見側列車.jpg

指が入っちゃいました(>_<)

列車が来ると分かっていたら

デジカメで待ち構えていたのですが

でも、撮れただけラッキーですね(^-^)

 

奥会津の紹介はまだまだ続きますが

写真がいっぱいで重くなっちゃうので

今日はここまでにしますね

続きは明日、只見町編を

お楽しみください(⌒-⌒)

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

ストーリーの説明は不要ですね...

昨夜の八重の桜

 

薙刀に 武士(もののふ)の魂を込めて

会津が誇る烈婦

中野竹子さんが戦いました

130409涙橋上から.jpgDSCN1654.jpg

P1010755.JPG120626涙橋2.jpg

柳橋 通称 涙橋

勇猛果敢に戦い

そして彼女は散りました

120626竹子銅像.jpg

今も会津の人々に愛され続けている

中野竹子さん

今は静かにご冥福を

お祈り申し上げます

120626竹子墓.jpg

武士の猛き心にくらぶれば

数には入らぬ我が身ながらも...

合掌...

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

私的にはすっかりお気に入りの

会津戦争スケッチ紀行

なんと言われようと続けます( ・`ω・´)b

お付き合いくださいね(ノ*´∀`)ノ

 

本日は第二段!

籠城開始から小田山の攻防です

 

慶応四年八月二十三日から

鶴ヶ城籠城戦を開始した会津藩

籠城3日目

この日 八月二十五日には城外で

こんな悲劇がありました...

 

照姫様が下ったとの情報を得て

その護衛をしようと

坂下(ばんげ)まで行った

中野竹子さん率いる娘子軍

 

しかし、その情報は誤報でした

城内に向かう味方軍と一緒に

若松へ戻る途中

120626涙橋.jpg涙橋にて敵軍と遭遇

娘子軍も薙刀で勇猛果敢に戦いました

 

その時一発の銃弾が竹子さんに

120626竹子銅像.jpg

美しき会津の女傑

中野竹子さんの壮絶な最期でした...

『もののふの猛き心にくらぶれば

数にも入らぬ我が身ながらも...』

 

同じ日 娘子軍とともに戦った

神保修理の妻 雪子さんは

湯川の河原で大垣藩に捕らえられ

長命寺に縛られていました 120824長命寺庭.jpg

首をはねられる直前 偶然訪れた

土佐藩士に脇差しを借り

彼女も壮絶な自害をし

夫が待つ場所に旅立ったのでした...

 

その頃若松の東約1.6kmのところにある

小田山が西軍に抑えられ

砲陣が設置されました

120731西軍砲陣跡.jpg

ここを奪われたのは

会津にとって大失策

敵はここから鶴ヶ城に向けて大砲を

撃ちおろしてくるのでした

 

しかし そんな中 知恵山川こと

家老 山川大蔵隊が

痛快な入城を果たしたのが

八月二十六日

 

日光口を守備していた山川隊が

急ぎ引き返して来たときには

鶴ヶ城は敵に包囲されて

蟻の入る隙もありません

そこで一計を案じた山川大蔵

 

会津に昔から引き継がれている

彼岸獅子を先頭に

笛太鼓の音色とともに

城に向かって行進

 

これには敵もあっけにとられ

銃を杖にして見送ったということです

かくして山川隊 1500名は

一人の負傷者も出さずに

西出丸より入城を果たしました

20120722西出丸入口.jpg

悲惨な会津戦争の中で

数少ない痛快な出来事でした

 

翌二十七日には青龍士中一番隊大本隊

による小田山奪回作戦を

決行しますが

敵の猛烈な狙撃により

壊滅に近い敗退

奪還は果たせませんでした...

120731小田山より城下.jpgこうして 小田山から雨のような

砲撃を受ける鶴ヶ城

 

起死回生を期して 八月二十九日

鬼の官兵衛こと

家老 佐川官兵衛が

城外に打って出るのでした!

続きは次回です( ・`ω・´)b

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

どんよりと曇った今朝の会津

今にも降り出しそうな梅雨空です

 

今日は磐梯山について

お話ししたいと思います

とは言っても いつもの 美しい

風景のご紹介ではなく

 

明治に起こった

磐梯山の大噴火のお話しです

 

遠く昔より 磐梯山は会津の人達にとって

信仰の対象となっていた山でした

その美しさから

誰からも慕われ

愛されていた山でした

130625河東表.jpg幕末戊辰戦争で

会津が鶴ヶ城籠城戦を戦い

敗れたその20年後

1888年7月15日

磐梯山は大爆発を起こし 山体が崩壊しました

 

その1週間前から遠雷や鳴動、軽震が

繰り返されていた磐梯

当日の朝7時に軽い地震が発生

そして 7時45分大きな地震とともに

噴火が発生しました

 

この噴火で 小磐梯の山体が崩壊し

岩屑なだれが発生

裏磐梯の長瀬川とその支流を堰き止め

北麓の集落 5村11集落を埋没させ

461名の尊い命が亡くなりました

 

噴火は数時間で終了

その日の午後4時には静穏な磐梯山に

戻りました

 

この噴火の跡は裏磐梯側から見る

磐梯山に今でもはっきりと残っています

130625桧原裏3.jpg 130625北塩原裏.jpg 山体崩壊の跡です

 

噴火の跡の裏磐梯は

白と黒の世界だったそうです

でも あきらめずに植樹を続け

今の美しい緑の裏磐梯になっていったのです

 

ここにも 嘆かない諦めない

会津人の風土と気質で復興に向けて

突き進んだのでした

 

また この噴火により 桧原湖や五色沼など

大小さまざまな湖沼が

裏磐梯に生まれました

130515毘沙門沼.jpg今の裏磐梯は 磐梯山の大噴火が

生んだ景色といっても過言ではありません

 

この大噴火で磐梯山の標高は変わっていません

大噴火は小磐梯の山体崩壊だったため

小磐梯が崩れたのでした

なので、標高は変わらなくても

見える風景は変わってしまいました

 

幕末の会津藩士が見た磐梯山と

少し風景は違うけど

 その頃も 今も 磐梯山は会津にとって

宝の山に変わりはありません

130315白鳥磐梯山.jpg今年 明治の大噴火から

 125年目を迎える磐梯山です

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

やっと梅雨らしい天気になってきた

この頃の会津

今日も空はどんより曇り空(´・ω・`)

いつ降ってもおかしくない状態です

 

そんな中開催されている

会津の初夏を告げる祭り

『あやめ祭り』も

いよいよ明日で終了です

 

そこで本日は

祭り終盤のあやめ苑を紹介します

130702あやめ遠景1.jpg

盛りは過ぎたとはいえ

まだまだ美しい花を楽しませてくれています

130702あやめ近景3.jpg

150種10万本を誇るこのあやめ苑

今年も色々な種類 色々な色の

あやめが楽しめました

130702あやめ近景2.jpg

あやめに限らず 花は人を癒してくれます

人の心の穴を埋めてくれる

妖精ですね(⌒-⌒)

130702あやめ近景1.jpg

今年のあやめも綺麗に咲きました

たくさんの人々の心を

癒してくれましたね

130702あやめアップ1.jpg

あやめ祭りは明日まで開催されています

露店もたくさん出ていますよ(⌒-⌒)

初夏を彩る美しい花々と

美味しい露店を

お楽しみください(^-^)/

 

そして 花の季節は梅雨から夏に

移っていきます

130702紫陽花.jpg

夏の花も楽しみにしながら

まずは梅雨明けを待つ

会津の今です(⌒-⌒)

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

またですかぁ!ヽ( ・`ω・´)ノ

と言わないでくださいね ヾ(゚□゚;)ノ

私にとって、ここは特別な場所なのです

飽きられようと何しようと

何度でも紹介するんですもん(ノ*´∀`)ノ

 

ブログを読んで下さってる方には

すっかりお馴染みとなりましたね(^-^)

私にとってのパワースポット

新選組の聖地『如来堂』

 

と、いうわけで...

今日もご紹介します(⌒-⌒)

時は6月も最後に近付いた28日

夕陽がとっても綺麗な夕方

130628如来堂堂内.jpg

少し引いて 夕陽を背にした

如来堂

130628如来堂少し近景.jpg

画像からも 夕陽のまぶしさを

感じてもらえると思います

さらに引いて撮影

130628如来堂遠景.jpg

何度来ても 同じ顔は絶対にない

如来堂です

会津に残ってくれた

新選組『隊長』斎藤一さんと

新選組隊士の皆さん

 

八重の桜に切望します

ここ、如来堂の戦いも

是非是非 放映してください!

 

いつ来ても 斎藤さんを感じることの出来る

夕陽の如来堂でした...

 

如来堂の模様は1年を通して

何度でも継続してお送りしますからね!

飽きたって言わないように

よろしくお付き合いください(^-^)/

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

この日は鶴ヶ城城下では

城サミットと城まち博で賑わっていた

会津若松市の先週末(⌒-⌒)

 

そんな市内をあえて

遠くから眺めてみよう\(^o^)/

と考え付き、この日は背炙山に

登ってきました(^-^)

 

背炙山(せあぶりやま)

会津若松の市街地東部

東山温泉から登ったところにあるこの山

古くは会津と白河を結ぶ

白河街道筋でした

八重の桜で反射炉を作ろうとした場所も

この背炙山でしたね

 

その後 滝沢街道が

メイン通りになりましたが

かつては豊臣秀吉も通った道だったんですよ

 

以前はロープウェイもあり

東山温泉からの観光地として

栄えましたが

今はロープウェイも廃止され

少し寂しいですが

眺めは今も健在ですよ(⌒-⌒)

 

さっそく到着!山頂の展望台は

標高824mの地点です

130629会津盆地.jpg

背炙山から見下ろす会津盆地

標高が高いので

市街地よりも涼しく感じて

気持ちいい(⌒-⌒)

 

峠の途中で見える会津若松市街

130629会津市街地.jpg

中央に鶴ヶ城を配置して撮影してみました

どこが鶴ヶ城か探してみてくださいね(⌒-⌒)

 

ふもとの東山温泉では

紫陽花が見ごろを迎えていました

130629紫陽花.jpg

暑い会津盆地の夏

そんな中 背炙山で気持ちのいい風を

感じながら ゆっくりと

会津若松市街を一望するのも

素敵な時間の使い方かも

しれませんね(⌒-⌒)

 

ただし、峠は細い道で

クネクネなので

速度を控えてゆっくりと

気をつけて通ってくださいね(⌒-⌒)

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

慶応四年八月二十三日

会津の一番長い日...

戊辰会津戦争で一番血が流れた日...

 

八重の桜 第二十六話

『八重,決戦のとき』

 

八重の桜も とうとうこの日が来ましたね...

戸の口原の戦いに敗れ

命からがら飯盛山までたどり着いた

白虎隊士中二番隊士達が選んだ道は

自決...まだ幼い彼ら会津武士は

ここで精魂尽き果てて会津に殉じました

120731飯盛山城下.JPG

西軍は勢いそのままに

容保公が陣取る滝沢本陣にも

襲い掛かりました

120725滝沢刀傷跡.JPG

容保公はわずかな手勢を引き連れ

甲賀町口郭門へ退陣

ここで西軍を迎えようとします

120721甲賀町口郭門跡.JPG

しかしここにも西軍は押し寄せ

藩士達に懇願されて

容保公は鶴ヶ城へ

 

郭門を守っていた家老

田中土佐と神保内蔵助は

とうとう破られ敵の侵入を許してしまい

ともにこの日 自刃

内蔵助さんが最後に土佐さんに言った言葉

『生まれ変わる時はまた会津で...』

 

この言葉、私の心の中にも

しっかりと染み入りました

私もそう感じます!

生まれ変わっても会津で!

 

そして敵の急襲に対して鶴ヶ城は

入城を促す早鐘が鳴り響き

120731鐘撞堂.JPG八重さんたち

女性・子供・老人達が入城

20120722廊下橋.JPG

しかし 入城を望まず

自決をした多くの藩士家族もいました

自分達が入城することにより

余計に兵糧を減らしてしまう

これ以上の人数がお城に入っても

お城の人数はいっぱいになってしまう

 

さりとて城外で敵に捕まり

味方の足手まといになりたくない

ましてや敵に辱めを受けたりする

ことは死ぬよりも耐え難いこと...

 

その結果 自らの命を断つことで

敵と戦った藩士家族達

130620奈世竹の碑カラー.jpg

西郷家一族二十一人をはじめ

この日藩士の家族二百人以上が

同様に自決しました...

 

そして城内では

この勢いで一気に鶴ヶ城攻略を狙う

西軍に対し ほとんど正規軍がいない中

少年兵士を指揮して

八重さんが鉄砲隊で応戦

敵の侵入を見事阻止しました

120808西出丸.JPG長い長い会津の一日

とても45分間では表しきれない

八月二十三日でしたが

見事に表現してくれた八重の桜

45分間 涙が溢れ続けた昨夜でした...

 

そして次回は八月二十五日

中野竹子さんの殉節...

神保雪子さんの自決...

また切ないシーンを見ることになります

目をそらさず しっかりと

断末魔にあえぐ会津を見守ります!

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