磐梯山 明治の大噴火

どんよりと曇った今朝の会津

今にも降り出しそうな梅雨空です

 

今日は磐梯山について

お話ししたいと思います

とは言っても いつもの 美しい

風景のご紹介ではなく

 

明治に起こった

磐梯山の大噴火のお話しです

 

遠く昔より 磐梯山は会津の人達にとって

信仰の対象となっていた山でした

その美しさから

誰からも慕われ

愛されていた山でした

130625河東表.jpg幕末戊辰戦争で

会津が鶴ヶ城籠城戦を戦い

敗れたその20年後

1888年7月15日

磐梯山は大爆発を起こし 山体が崩壊しました

 

その1週間前から遠雷や鳴動、軽震が

繰り返されていた磐梯

当日の朝7時に軽い地震が発生

そして 7時45分大きな地震とともに

噴火が発生しました

 

この噴火で 小磐梯の山体が崩壊し

岩屑なだれが発生

裏磐梯の長瀬川とその支流を堰き止め

北麓の集落 5村11集落を埋没させ

461名の尊い命が亡くなりました

 

噴火は数時間で終了

その日の午後4時には静穏な磐梯山に

戻りました

 

この噴火の跡は裏磐梯側から見る

磐梯山に今でもはっきりと残っています

130625桧原裏3.jpg 130625北塩原裏.jpg 山体崩壊の跡です

 

噴火の跡の裏磐梯は

白と黒の世界だったそうです

でも あきらめずに植樹を続け

今の美しい緑の裏磐梯になっていったのです

 

ここにも 嘆かない諦めない

会津人の風土と気質で復興に向けて

突き進んだのでした

 

また この噴火により 桧原湖や五色沼など

大小さまざまな湖沼が

裏磐梯に生まれました

130515毘沙門沼.jpg今の裏磐梯は 磐梯山の大噴火が

生んだ景色といっても過言ではありません

 

この大噴火で磐梯山の標高は変わっていません

大噴火は小磐梯の山体崩壊だったため

小磐梯が崩れたのでした

なので、標高は変わらなくても

見える風景は変わってしまいました

 

幕末の会津藩士が見た磐梯山と

少し風景は違うけど

 その頃も 今も 磐梯山は会津にとって

宝の山に変わりはありません

130315白鳥磐梯山.jpg今年 明治の大噴火から

 125年目を迎える磐梯山です

つるかんHPへゴーやえちゃん2.jpg

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