どんよりと曇った今朝の会津
今にも降り出しそうな梅雨空です
今日は磐梯山について
お話ししたいと思います
とは言っても いつもの 美しい
風景のご紹介ではなく
明治に起こった
磐梯山の大噴火のお話しです
遠く昔より 磐梯山は会津の人達にとって
信仰の対象となっていた山でした
その美しさから
誰からも慕われ
愛されていた山でした
会津が鶴ヶ城籠城戦を戦い
敗れたその20年後
1888年7月15日
磐梯山は大爆発を起こし 山体が崩壊しました
その1週間前から遠雷や鳴動、軽震が
繰り返されていた磐梯
当日の朝7時に軽い地震が発生
そして 7時45分大きな地震とともに
噴火が発生しました
この噴火で 小磐梯の山体が崩壊し
岩屑なだれが発生
裏磐梯の長瀬川とその支流を堰き止め
北麓の集落 5村11集落を埋没させ
461名の尊い命が亡くなりました
噴火は数時間で終了
その日の午後4時には静穏な磐梯山に
戻りました
この噴火の跡は裏磐梯側から見る
磐梯山に今でもはっきりと残っています
噴火の跡の裏磐梯は
白と黒の世界だったそうです
でも あきらめずに植樹を続け
今の美しい緑の裏磐梯になっていったのです
ここにも 嘆かない諦めない
会津人の風土と気質で復興に向けて
突き進んだのでした
また この噴火により 桧原湖や五色沼など
大小さまざまな湖沼が
裏磐梯に生まれました
生んだ景色といっても過言ではありません
この大噴火で磐梯山の標高は変わっていません
大噴火は小磐梯の山体崩壊だったため
小磐梯が崩れたのでした
なので、標高は変わらなくても
見える風景は変わってしまいました
幕末の会津藩士が見た磐梯山と
少し風景は違うけど
その頃も 今も 磐梯山は会津にとって
宝の山に変わりはありません
125年目を迎える磐梯山です
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