慶応四年八月二十三日
会津の一番長い日...
戊辰会津戦争で一番血が流れた日...
八重の桜 第二十六話
『八重,決戦のとき』
八重の桜も とうとうこの日が来ましたね...
戸の口原の戦いに敗れ
命からがら飯盛山までたどり着いた
白虎隊士中二番隊士達が選んだ道は
自決...まだ幼い彼ら会津武士は
ここで精魂尽き果てて会津に殉じました
西軍は勢いそのままに
容保公が陣取る滝沢本陣にも
襲い掛かりました
容保公はわずかな手勢を引き連れ
甲賀町口郭門へ退陣
ここで西軍を迎えようとします
しかしここにも西軍は押し寄せ
藩士達に懇願されて
容保公は鶴ヶ城へ
郭門を守っていた家老
田中土佐と神保内蔵助は
とうとう破られ敵の侵入を許してしまい
ともにこの日 自刃
内蔵助さんが最後に土佐さんに言った言葉
『生まれ変わる時はまた会津で...』
この言葉、私の心の中にも
しっかりと染み入りました
私もそう感じます!
生まれ変わっても会津で!
そして敵の急襲に対して鶴ヶ城は
入城を促す早鐘が鳴り響き
女性・子供・老人達が入城
しかし 入城を望まず
自決をした多くの藩士家族もいました
自分達が入城することにより
余計に兵糧を減らしてしまう
これ以上の人数がお城に入っても
お城の人数はいっぱいになってしまう
さりとて城外で敵に捕まり
味方の足手まといになりたくない
ましてや敵に辱めを受けたりする
ことは死ぬよりも耐え難いこと...
その結果 自らの命を断つことで
敵と戦った藩士家族達
西郷家一族二十一人をはじめ
この日藩士の家族二百人以上が
同様に自決しました...
そして城内では
この勢いで一気に鶴ヶ城攻略を狙う
西軍に対し ほとんど正規軍がいない中
少年兵士を指揮して
八重さんが鉄砲隊で応戦
敵の侵入を見事阻止しました
とても45分間では表しきれない
八月二十三日でしたが
見事に表現してくれた八重の桜
45分間 涙が溢れ続けた昨夜でした...
そして次回は八月二十五日
中野竹子さんの殉節...
神保雪子さんの自決...
また切ないシーンを見ることになります
目をそらさず しっかりと
断末魔にあえぐ会津を見守ります!
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