2012年5月アーカイブ

『八重の桜』第一次キャスト発表!

http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/cast/

きゃーきゃー(≧▽≦)♡

すごい豪華キャスト!!!

今から興奮してまーす

(((o(*゚▽゚*)o)))

やえちゃんも頑張らねばね

( `ω・´)bキリッ

今日は『やえちゃん特集』

\(^o^)/

着ぐるみもほぼ毎日

出陣しています♪やえちゃんが登場すると

館内は沸きあがります(#^.^#)

120529やえちゃん中学生.JPG

売り場にはやえちゃんグッズも充実してきましたよ

120529やえちゃんグッズ1.JPG

120529やえちゃんグッズ2.JPG

120529やえちゃんグッズ3.JPG

今のところつるかんでしか

売っていない やえちゃんもたくさんあります♪

ぜひ 来て見て やえちゃんの可愛さを感じてくださいね

そんなこんなしてるうちに

やえちゃんは お外に飛び出して行ってしまいました

120529やえちゃんお外でブイ.JPG

ちょっと目を離すと

どこまで行きだすか分からない

やえちゃんでした

\(^o^)/

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111216天寧寺会津士魂碑.JPG

ふと思ってみました

会津士魂の碑は

会津にはいくつ建立されているかな?

写真は 天寧寺にて昨年12月に撮影した

会津士魂の碑です

他にも士魂の碑が建っている

場所が分かる方

ぜひ教えてください

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あと3日

早いですねぇ(>_<)

2012年も はや5ヶ月経過ですかぁ

悔いないように

残りの7ヶ月をすごさねば!

まずは あと2ヶ月で

オリンピック!

違う違う!あっ違わないけど違う!

オリンピックはとっても楽しみだし

応援しまくっちゃうけど

私が言いたかったことは

これからどんどん いい季節になる

会津のよさを 発信していかねば!

でした♪

(#^.^#)

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120525士津鳥居.JPG

真っ白い大きな鳥居があるここは

猪苗代町『士津神社』です

120525士津本殿.JPGここには 会津藩初代藩主 『保科正之公』の墓があります

正之公の人生については 今後少しずつ紹介することにして

本日はこの神社についてお伝えします

正之公は、寛文十二年(1672年)十二月十八日

江戸にて 六十二歳で亡くなられました

正之公は自らの埋葬地を猪苗代湖が一望できる

磐梯山麓に決めていたので 二代藩主 正経公は

遺言どおり墳墓の造営にあたりました

120525士津坂道.JPG

松平家の御廟にもひけをとらないほどの坂道を登り登り

120525士津正之公.JPG

見えてきました!正之公の墓

中には入れないので、格子のすき間からぱちり

120525正之公墓1.JPG

120525正之公墓2.JPG

会津の最初のお殿様 大切に大切に祀られています

士津神社入口には

おおっきな!!!『士津霊神之碑』

も建てられています

士津霊神之碑.JPG

この碑は正之公の履歴を刻んだ石碑で

神社の碑石としては日本最大だそうです!

会津の最初のお殿様

保科正之公

彼の人生もまた たくさんの人々に敬愛されています

今も彼は 磐梯山の麓で

会津の人々を見守ってくれています

磐梯山.JPG

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シリーズ『会津歴史紀行』

今日の旅の目的地はここ‥

120525母成峠.JPG

ここは、猪苗代町と磐梯熱海町を結ぶ

『母成峠』です

白河 棚倉 守山 三春と攻略・帰順し

ついには二本松も落城

西軍率いる『板垣退助』『伊地知正治』は

雪が降る前に会津を攻略したいという思いから

ここから北進をやめ

標的を会津攻撃に絞ることになりました

そして、迎え撃つ東軍と西軍が対峙した決戦の場

それが母成峠です

120525母成碑.JPG

母成グリーンラインの駐車場に建てられた碑

120525母成碑右.JPG 120525母成碑左.JPG

 

 

 

 

 

慶応四年八月二十一日

会津藩、仙台藩、二本松藩、そして新撰組など

総勢800余名の東軍は

土佐藩、薩摩藩、長州藩など

3000余名の西軍と激戦しましたが

最後はなだれのように敗れたそうです

峠の北西部には

『東軍殉難者埋葬地』がひっそりとあります

120525東軍殉職者慰霊碑.JPG

母成での東軍戦死者の遺体は当時

埋葬を許されず 戦後しばらくの間放置されていましたが

これを見かねた近くの人々が西軍の眼を盗んで

遺体を集め 仮埋葬したそうです

その後この地は雑草に覆われてその所在が

分からなくなっていましたが

百年以上のちに、発見され

今は上の慰霊碑が建てられています

母成を破られ 戦いの場はいよいよ

会津に移っていくのでした

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夕方 會津の歴史本をパラパラめくっていたら

ふと目に止まった頁のセリフ‥

【新撰組は会津藩へ来る途上であちこちで戦い

隊員は多く戦死し 今は十四人しか残っていない

今後も生きて隊名を残したいとも思うが

今 会津が落城しようとしているのを見て

これを見捨てるのは『誠』の精神に反する

母成峠で仙台行きを 約束はしたが

自分たちは後願を思わず 隊名とともに

ここで死のうと思う】

新撰組 斎藤一(当時 山口次郎)が

新撰組本体を土方歳三に託された

幕臣 大鳥圭介に

言ったセリフでした

この日の私は なぜかこのセリフが

心にぶわっと

(ToT)

きてしまいました

如来堂に行きたい!斎藤さんに逢いたい!

という理由で その思いを抑えきれずに

夕暮れの如来堂に来てしまいました

120523如来堂1.JPG

斎藤一 率いる『新撰組会津残留組』は ここ、如来堂にて

最後の激戦に身を投じました

そして、戊辰戦争での新撰組の会津での活躍は

この地で終わりを告げました  120523如来堂2.JPG

私は個人的に ここ 如来堂が大好きです

なぜか 気持ちが落ち着く場所です

120523如来堂田園.JPG細い道を入り たんぼに面した、何にもないこの場所ですが

何故か気持ちを穏やかにしてくれます

誰にでも そんな場所がありますよね

(#^.^#)

遠くに夕日が映えるのを感じながら

120523如来堂夕日.JPG

斎藤一の面影を浮かべながら

ぼーっと、暗くなるまで

新撰組に寄り添って過ごしたこの日の夕方でした

120523如来堂8.JPG

おかげで穏やかな気分で帰宅できました♪

ゆっくりと、たったひとりで歴史と向かい合える

地元ならではの 贅沢な時間を

すごすことができました

(#^.^#)

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春うらら♪

昨日とは打って変わり

好天の会津若松市

(#^.^#)

今日は久々に春の飯盛山のご紹介♪

120523士中二番対墓.JPG

まずは有名な『白虎隊士中二番隊 自刃隊士の墓』

戸ノ口原の戦いに出陣した隊士が

戦いに敗れてお城へ戻る途中

ここ 飯盛山から見た鶴ヶ城が燃えていると

勘違いし自刃しました

自刃の地から見た城下町若松

120523若松市.JPG

お城は分かりますでしょうか?

ちょっと拡大

120523若松市拡大.JPG

当時の彼らの心中を察すると

心が痛くなります‥

ここ 飯盛山には『自刃隊士の墓』以外にも

たくさんの墓や碑があります

120523士中二番隊外1.JPG 士中二番隊外2.JPG

 

 

 

 

 

 

戊辰の役において戦い 『戦死した白虎隊士の墓』

120523少年慰霊碑.JPG

白虎隊士外の14歳~17歳で戦死した

『少年武士慰霊碑』

120523烈婦碑.JPG

戊辰の役で自刃または戦死した婦女子二百余名を

慰霊するため 旧藩士 山川健次郎氏等によって建立された

『会津藩殉難烈婦の碑』

120523容保公弔歌.JPG

戊辰戦争当時 自刃した白虎隊士の殉難忠節に対し

会津藩主 松平容保公が詠まれた弔歌碑

『幾人の涙は石にそそぐとも

その名は世々に朽じとぞ思う』

 

まだまだ見所がたくさんある飯盛山です♪

会津にいらしたら 鶴ヶ城と共に 欠かせない

訪問箇所ですね(#^.^#)

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会津若松市 七日町通りにある

この銀行

120521清水屋1.JPG

ごめんなさい(>_<)

今日は銀行さんのご紹介ではありません

この銀行の入口近くにあるこの碑と看板

120521清水屋2.JPG

これが今日の目的地です

『清水屋旅館跡』

この場所には『吉田松陰』『土方歳三』など

多くの歴史的人物が訪れた

『清水屋』という旅館がありました

幕末の志士たちに大きな影響を与えた吉田松陰は

東北各藩の歴訪の大旅行の際

中でも会津藩には特に強い関心を示し

二度に渡って訪れました

その際の宿がここでした

また、戊辰戦争 宇都宮城の攻防で

足を負傷した土方歳三が運び込まれ

治療を受けたのもこの旅館です

120521清水屋3.JPG

 

120521清水屋4.JPG木造三階建てのこの由緒ある旅館は

江戸・明治・大正にわたって

会津の歴史を見つめ続け

昭和初年に惜しまれながら取り壊されました

(文章:看板より参照させてもらっちゃいました(^o^)丿)

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じゃーん♪

120517やえちゃん1.JPG

リアルやえちゃんが出陣♪

やえちゃんが登場した途端

廻りは笑顔と歓声に包まれました

(#^.^#)

120517やえちゃん2.JPG

小さなお子ちゃんと握手や記念撮影したり

120517やえちゃん4.JPG

中学生に『白虎刀』で戦いを挑まれたり

大人気のやえちゃんです♪

120517もみくちゃやえちゃん.JPG

中学生と同化して、やえちゃんが見えません(^_^;)

ジェラート工房や二の丸にもご挨拶

120517二の丸やえちゃん.JPG 120517ジェラートやえちゃん.JPG

 

 

 

 

 

 

 

やえちゃんが登場するのは

一日のうち数十分

出会えた人はラッキーですよ♪

ぜひ、やえちゃんと会えるのを楽しみに

おいでください

\(^o^)/

八重5.jpg

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シリーズ

『鶴ヶ城暦』

桜のシーズンも終わり

いよいよ新緑美しい5月の鶴ヶ城を

今回も説明不要でお届けいたします

どぞ♪

\(^o^)/

120516北出丸.JPG

120516西出丸石垣上.JPG

120516鉄門内.JPG

120516鉄門表.JPG

120516鉄門入って.JPG

120516本丸.JPG

120516本丸逆光.JPG

いかがでしたでしょうか

(#^.^#)

どんどん いい季節を迎える

5月の鶴ヶ城でした

\(^o^)/

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今日の歴史紀行

会津若松市 日新町の『長命寺』

120515長命寺全景.JPG

入口左には忠魂の碑があります

120515忠魂の碑.JPG

また 外装の塀には無数の弾丸の跡が‥

120515長命寺壁.JPG

ここ 長命寺は 戊辰の役の際

会津軍と西軍の 激しい攻防戦が繰り広げられた激戦地でした

塀に無数に残るこの鉄砲弾が

その戦いのすさまじさを物語っています

120515弾痕.JPGそして 開城降伏‥

その後には おびただしい数の遺骸が残りました

しかし 会津藩士の遺骸は

埋葬が許されず翌年の雪溶けまで放置されました

時の住職が見かねて付近の遺骸を密かに埋葬

墓碑は明治11年に旧会津藩士の有志により建てられました

120515戦死墓.JPGしかし 碑面には『戦死墓』の三文字以外

表示されることを許されませんでした

120515戦死墓拡大.JPG

当時の先人の無念を思い

心から 合掌‥

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春晴れの今日は

とっておきの場所からの撮影

ここは磐越道会津若松~新鶴間

沿線にある空き地

右を向けば磐梯山

120514磐梯山.JPG

左を向けば飯豊山

120514飯豊山.JPG

田植え前の今の会津

水を張った田もちらほら

のどかな春のお天気です♪

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やっと完成!

やえちゃん着ぐるみ.jpg

え‥え~!!((((;゚Д)))))))

なんて言わないでね

実際に見ると可愛いんですよ♪

やえちゃん着ぐるみも完成したところで

『会津のいいとこ伝え隊』

第二陣 出陣だぁ!!(^o^)丿

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先日 河井継之助の埋骨地について

ご紹介しましたが

今回はそれを含めた 会津における

継之助の道程を紹介します

戊辰戦争において

最も熾烈を極めたといわれる

北越戦争に破れた長岡藩

そして 自らも重傷を負った継之助は

会津へ向かいます

120509河井銅像.JPG新潟から会津へ抜ける峠 八十里越えを越える際

『八十里 腰抜け武士の 越す峠』

という自嘲の句を詠んだそうです

峠を越え 会津領に入り

慶応四年八月十二日に塩沢村に入ります

現在の只見町です

この町で不安定な容態となり矢沢邸にて療養

120509矢沢家.JPG

120509河井療養の真.JPG

実際に療養していた部屋です(以上写真:只見町河井継之助記念館)

 

しかし 療養むなしく八月十六日帰らぬ人となりました

120509河井終焉の地碑.JPG

終焉之地碑(同記念館)

 

継之助の遺体は荼毘に付され 遺骨は

会津若松市 建福寺の東側 小田山の中腹に埋められました

120509河井埋骨の地.JPG

戦後 遺骨は長岡に運び出され

現在栄凉寺に再び埋葬されました

 

また 終焉の地 只見町に残った遺骨は

村人達により 手厚く葬られ医王寺に埋葬されています

120509河井墓.JPG

医王寺 継之助の墓(会津藩医松本良順と長岡藩医阿部宗達により墓石建立)

 

今回は 継之助が会津で過ごした短い時間を巡りました

故郷長岡にも記念館や墓があります

長岡では 継之助の墓石は長岡を荒廃させた張本人として

継之助を恨む者たちによって、何度も倒されたりもしたそうです

戦争責任者として継之助を非難する言動は

継之助の人物を賞賛する声がある一方で

明治以後、現在に至るまで続いているとのお話しも聞きます

でも ここ会津では 河井継之助は

遠く越後から 最後まで会津の味方でいてくれた

大恩があります

やはり 感謝と尊敬の念を込め

只見のお墓もお参りしてきました

今回のリポートはここまで

最後に 今回 只見の記念館に到着したのは

午後5時(>_<)とっくに閉館(4時)過ぎていたのでした

なのに、どうぞ と、中を見せてくれた

記念館の職員さんに

深く感謝いたします

幕末 継之助を手厚く看護し もてなしてくれた

只見の方々の親切なお心は

100年以上過ぎた今も風土として

残っているなぁと

会津サイコォーと

あらためて感じました

\(^o^)/

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今回は 有名な観光名所ではなく

普段通る道の 何気ない風景を

撮ってみました

何も思わず通ると見逃してしまいそうな

風景も

『あ!綺麗』と思える様な

心の余裕が自分に欲しいと思い...

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P1020221.JPG P1020224.JPG

 

 

普段通る道にも

美しい会津がありますよね

  これからも 変わらぬ風景でいて欲しい

普段の会津でした(#^.^#)

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今日は

お城に程近い

小田山の中腹に建てられている

埋骨の碑をご紹介します

120509河井埋骨の地.JPG

『河井継之助君埋骨遺跡』

と記されています

河井継之助

越後 長岡藩家老の彼は

戊辰戦争の際 会津藩を守るべく

西軍との間に入り両者の和睦を図ってくれた方です

和睦が無理となった後は

西軍を向こうに回し

激戦の末敗れました

傷を負った河井も

八十里越えを越えて会津へ向かう途中

命果てました

彼の骨が埋骨されているとされるのが

ここ小田山 建福寺から東のこの地です

遠く越後の会津の友に

感謝と尊敬の念を込め

合掌

なお この小田山は

歴史的な知見から見ると

宝の山です

芦名のお殿様の御廟

柴四郎 五郎 の墓

八重が練習していた砲術練習所...などなど...

機会があったら ご紹介しますね

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会津歴史紀行

本日は郡山市湖南町にある旧跡

『福良御用場跡』と『福良御本陣跡』

をご紹介します

まずは『福良御用場跡』

郡山市湖南町にあるこの旧跡

新撰組の宿舎があった場所です

120508福良御用場跡.JPG

建物は最近取り壊され

蔵がぽつりと残っています

この辺りで 土方歳三の最後の手紙と

思われる書状が発見されたということです

 

続いては『福良御本陣跡』

120508福良御本陣跡.JPG

碑は 御用場跡から程近い

民家の裏にひっそりと立っています

もし ここに行こうとする方がいましたら

なかなか発見しにくい場所ですから

根気よく探してくださいね

ここでは 宇都宮の戦いで

負傷し 療養中の土方と

隣りの宿舎にいた白虎隊士の

暖かい交流が書き残されています

凄惨な戊辰戦争の戦火が

会津に襲い掛かる ほんの手前の

安らぎだったのでしょうか

湖南側から見える猪苗代湖

120508湖南猪苗代湖.JPG

この日は もやっていて

湖の先の磐梯山はぼやっとしか見えませんが

幕末 土方も ここから猪苗代湖

そして磐梯山を望んだのでしょうか

そう考えながら眺める湖は

時間の経過を引き戻してくれそうに

感じました

隣に土方がいるような

そんな感覚の湖南・福良でした

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GWも終わり

疲れを癒した方 かえって疲れた方

いろいろな方が

いるでしょうね(#^.^#)

今日は 会津のお殿様の墓所を紹介します

『松平家廟所』

120505松平家入口.JPG

東山温泉の入り口にあるこの廟所

広大な山中を登っていきます

ここには二代目正経公から

九代目容保公までの墓があります

藩祖 保科正之公の墓は

猪苗代町 士津(はにつ)神社に祀られています

山中を登った一番高台の奥に

会津最後のお殿様 松平容保公の墓に

たどりつきます

120505松平家碑石亀附.JPG

墓の手前に墓碑があります

120505松平家碑石亀附2.JPG

巨大な石亀附に乗っています

そして、その先に容保公の墓があります

120505容保公墓1.JPG

120505容保公墓2.JPG

合掌

今年も幕末会津の歴史を

紹介していきますので

見守っていてくださいね

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天保六年(1835年)五月五日

現在の東京日野市に

一人の漢が生まれました

『土方歳三』

新撰組 鬼の副長と恐れられた人です

今日は彼の慰霊碑が建てられている

天寧寺に行ってきました

120505天寧寺八重桜.JPG

八重桜がピンクの花を満開に咲かせている

ここ天寧寺には

新撰組局長『近藤勇』の墓があります

そして、その横に『土方歳三』の慰霊碑が建っています

120505近藤土方2.JPG

左が『近藤勇』の墓

近藤の死の報を受け 土方が建立しました 120505近藤1.JPG

戒名『貫天院殿純忠誠義大居士』

松平容保公より与えられました

 

そして その隣に建つのが

『土方歳三』の慰霊碑

120505土方1.JPG

最後まで戦い抜く道を選び

鳥羽伏見 宇都宮 会津と

自分の生きる(死ぬ)場所を

探し求めていたかのように戦い移り

最後は遠く函館の地に散りました

戒名『歳進院殿誠山義豊大居士』

孤高の烈士の生き様は

今だ多くの人の共感を生み

この日もたくさんの方々が

花を手向けに来ていました

 

今年は会津の歴史と平行しながら

『新撰組』と会津の歴史も

紹介していきたいと思います

お楽しみに

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G・Wも後半

久々に会津に帰省し

故郷を楽しんでいる方も多いと思います

今日の会津は朝から

天気がいまいち

雨が降ったりやんだり

 

せっかくの春の連休

も少し天気が良くなればいいのに‥

 

せめて 明日からの土日は

暖かな お日様が

顔を覗かせてくれることを

期待したいですね♪

 

あーした天気になぁれ♪

\(^o^)/

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今日 5月2日は

暦上は平日ということもあり

観光客の方々の数も

少ないような‥

明日からは GW後半

家族やお友達と

ドライブがてら

たくさんの皆さまに

会津の春を楽しんでいただきたいです

 

飯盛山・大内宿・鶴ヶ城・塔のへつり

猪苗代湖に裏磐梯・五色沼・磐梯山

 

ソースカツ丼・喜多方ラーメン・カレー焼そば

ちょっとツウに こづゆににしんの山椒漬け

 

歴史探訪や景色探訪・知人友人との語らいの帰省

 

いろんな目的が 会津にはありますね♪

 

会津の良さを 満喫しに来て下さいね

(#^.^#)

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5月に入りました

GWは今日まで好天が続いています

好天‥暑いくらいです

(>_<)

ちょっと早いかもしれないけど

熱中症の気をつけて

こまめな水分補給を忘れずに

楽しいGWをおすごしくださいね

会津にも

たくさんのお客さまが

いらっしゃってくれています

\(^o^)/

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