シリーズ『会津歴史紀行』
今日の旅の目的地はここ‥
ここは、猪苗代町と磐梯熱海町を結ぶ
『母成峠』です
白河 棚倉 守山 三春と攻略・帰順し
ついには二本松も落城
西軍率いる『板垣退助』『伊地知正治』は
雪が降る前に会津を攻略したいという思いから
ここから北進をやめ
標的を会津攻撃に絞ることになりました
そして、迎え撃つ東軍と西軍が対峙した決戦の場
それが母成峠です
母成グリーンラインの駐車場に建てられた碑
慶応四年八月二十一日
会津藩、仙台藩、二本松藩、そして新撰組など
総勢800余名の東軍は
土佐藩、薩摩藩、長州藩など
3000余名の西軍と激戦しましたが
最後はなだれのように敗れたそうです
峠の北西部には
『東軍殉難者埋葬地』がひっそりとあります
母成での東軍戦死者の遺体は当時
埋葬を許されず 戦後しばらくの間放置されていましたが
これを見かねた近くの人々が西軍の眼を盗んで
遺体を集め 仮埋葬したそうです
その後この地は雑草に覆われてその所在が
分からなくなっていましたが
百年以上のちに、発見され
今は上の慰霊碑が建てられています
母成を破られ 戦いの場はいよいよ
会津に移っていくのでした
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