八重の桜第十九話
『慶喜の誤算』
孝明天皇の崩御後
慌ただしく時代の波が動いた慶応三年
徳川慶喜を平和裡に退陣させようとした
土佐藩 後藤象二郎
坂本龍馬の『船中八策』からヒントを得て
『大政奉還策』を練り上げ
藩主 山内 容堂公に献策
容堂公はこれを徳川慶喜に建白
慶喜はこれをすぐに容れ
朝廷に大政奉還を上表
奇しくも同じ日 十月十四日に
討幕の密勅(偽勅)が出されていました
慶喜は間一髪で朝敵になることを免れました
これで 徳川幕府265年
源頼朝が鎌倉幕府を築いてから約700年続いた
武家政権が幕を閉じました
慶喜が大政を奉還したのは
自分がなおも政権を掌握していられるという
読みがあったからでした
しかしそれを許さなかったのが
薩摩の西郷・大久保や 公卿の岩倉具視
西郷は討幕の偽勅を手に
国許に戻り
その偽勅を達成する名目で挙兵
そして岩倉具視は
『王政復古の大号令』を
明治天皇の名において発することに成功
その諸侯会議に徳川・会津・桑名は
揃って欠席していました
この欠席も慶喜の依頼でした‥
この欠席は 痛恨の大失策です‥
新政府の顔ぶれに
容保公の名はもちろん 慶喜の名も
連なりませんでした‥
王政復古の大号令が発せられたその夜
初の閣議で
徳川慶喜の官位剥奪
そして 領地返上が提案されました
これが通れば慶喜は
ただの人になってしまいます
さすがに土佐の山内容堂公が
強行に反対。会議は紛糾しました
そんな中出た 西郷隆盛の言葉
『短刀一本あれば 片付くことではないか』
阻む者は 刺し殺してでも進む
その強固な決意と気迫に
容堂公もついに沈黙し‥
慶喜の納地納官は強引に決定しました
ここに 幕末のクーデター
『王政復古』は成功したのでした
この報を知らされた会津藩士達
自分達がこれまでやってきたことが
ひっくり返されたことに激興し
いよいよ一触即発の事態になりました‥
以上 今回は歴史のお勉強でした
形成逆転‥
それが今回の八重の桜でした‥
そんな時代の流れの中 いよいよ次回からは
争いの火蓋が切られるのでした‥
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