幕末戊辰 会津戦争へのタイムスリップ
144年前の今日 慶応四年九月十八日
先日、降伏を決意した容保公
城外では そんな藩主の心の中を知る由もなく
まだまだ激しい戦いが続いています
★高田の戦い
高田を本営としてゲリラ戦を戦っていた佐川官兵衛に対し
この日 西軍は高田を攻撃しました
佐川官兵衛は兵をまとめた後
大内村に転陣しました
まだまだ 戦う気充分な鬼カンです
しかし。。。
高田は 会津藩と外部との唯一の連絡路でした
外部からの情報は、ここを通って
城内に伝えられていたのです
ここを奪われたということは‥
高田 伊佐須美神社
会津藩は先日の食糧補給路に続き
情報のルートも絶たれてしまいました
文字通り 完全に孤立したのでありました・・・
食糧も情報も遮断された鶴ヶ城です。。。
その頃 政局にも動きがありました
降伏を決意した容保公の君命により
米沢藩本営に出向いた使者が到着
降伏を申し出ました
それにより秋月悌次郎らが
城下の薩摩藩本陣に連行
会津降伏の条件交渉のためです
降伏開城が刻一刻と近づいている
城内の政局です
★人物探訪 西郷頼母~したかったのですが‥~
西郷頼母(たのも)
会津藩代々の家老の家に生まれ
西郷頼母近悳(ちかのり)さんは
九代目の家老です
『八重の桜』では
西田敏行さんが演じる重要な役割です
終始恭順を唱えた頼母さん
そのために家老職解任・謹慎などの
罰も受けましたが 戊辰戦争で復職
白河口総督として
白河城で西軍を迎え撃ったりしました
正直言わせてもらいますね‥
会津戦争を語る上で この方の紹介は
避けて通れないのですが
歴史的な見識の浅い私には
この頼母さんのことを
どう伝えればいいのか
正直 自信がありません
どの角度から 頼母さんを伝えるのが
一番正しいのか
私には難しい人なのでした‥
ですので、このタイムスリップシリーズでは
彼の人となりや当時の活躍などの
紹介は控えさせて頂きます
来年の『八重の桜』でNHKさんが
どんな西郷頼母さんを
西田敏行さんを通して
見せてくれるのかを
楽しみに待っていたいと思います
以上 完全に孤立した鶴ヶ城
政局的には降伏に向かっている鶴ヶ城
しかし 藩士の士気は今だ衰えず
徹底抗戦の構えを崩さない鶴ヶ城の九月十八日でした