橋に歴史あり…十六橋
お盆も終了しました
帰省したご家族で賑わっていた
各地のご家庭も
普段の生活に戻り
少しの安堵感と 少しの寂しさが
訪れる今週になりそうですね
我が家も久々に親戚が集まり
賑やかにすぎていた土曜日の夜
ふとしたきっかけで
蔵の整理が始まりました
見たことも無かった段ボールを開けると
そこにはいろんな手紙や写真が
親戚の小さな頃の写真や
昔の家の写真などがほとんどのそんな中に
ひとつの写真を発見したのでした
ポートレートのようなこの写真
下には 右から左に
「猪苗代湖十六橋」
の文字が
親戚は、「なんだこの写真」
と、あまり興味なさそうにアルバムの頁を
めくろうとしましたが
「ちょっと待って!えーっ!十六橋!?」
ひとり興奮して眺めていた私でした
十六橋
幕末戊申会津戦争の分岐点
二本松を制した西軍は
方向を一路会津に切り替え
母成峠の戦いを制して
いよいよ会津の地に足を踏み入れようと進軍
猪苗代から若松へのルートには
日橋川が阻んでおり
そこをつなぐ十六橋は猪苗代と若松を結ぶ
重要な拠点でした
西軍の行く手を阻むため
十六橋を破壊しようとする会津
しかし、あまりにも頑丈なこの橋は
容易に壊れてはくれず
そうこうするうちに西軍が到着
十六橋を抑えられてしまったのです
その後、白虎隊の悲劇で知られる
戸の口原の戦い、そして滝沢本陣
鶴ヶ城籠城戦へと戦いの場は若松城下に
移って行ったのでした
この写真は大正時代に撮影されたものと
思われます
翌日、休日を利用して十六橋の今を撮影してきました
ほぼ同じアングルから眺める
十六橋の今
見ると大正2年11月に竣工したようです
あの写真はそれ以降に
撮られたものと思われるので
今の十六橋の90年以上前の
写真ということになります
今の橋の先代の橋だったら
もっとすごい貴重品ですが
出来たばかりの大正の風景も
すごく興奮した私でした
橋に歴史あり…
今度 心を落ち着けたあと
ゆっくりと蔵の中の探検を再開したいと思います
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