幕末戊辰 会津戦争へのタイムスリップ
144年前の今日 慶応四年九月十四日
西軍が いよいよ鶴ヶ城への総攻撃を開始しました
籠城戦二十三日目 いよいよ戦局が大きく動いたのです
午前八時 小田山、館、慶山から撃ち出された砲弾は
糸を引くように鶴ヶ城に吸い込まれ
砲煙が天守閣を包みました
西軍が包囲網を絞っていきました
これに対し 城内の会津軍もひるまず応戦
すさまじい戦闘をくりひろげました
佐川官兵衛率いる城外の会津軍もこれに呼応
政府軍を背後から脅かし 城内で戦う仲間を援護します
激しい3日間の始まりです
一方この日の総攻撃で
城内では こんな悲劇がありました
★山川登勢 非業の死
『山川登勢(とせ)さん』
会津藩 若家老 「知恵山川」こと
山川大蔵の妻
照姫を守護していた彼女は
この日の総攻撃の際、照姫の居室において
破裂弾の砲撃に遭いました
三ヶ所の重傷を負いながらも
自分の事は忘れ
照姫の安否を気遣っていた彼女
姫の御無事を聞いて
慰問に訪れた使いの人に
深く感謝してお礼を述べたといいます
以下は、彼女の義理の妹
後に鹿鳴館の貴婦人と言われる
『山川捨松さん(幼名咲子さん)』が
後に語ってくれた談です
当時九才の彼女もまた
籠城戦の城内にいました
そして九才の彼女も
この日の砲撃で負傷を負っています
『私たち(母(艶)、姉(二葉:当時家老梶原平馬の妻)
義姉(登勢)、咲子(本人)は
いつも死ぬ覚悟は出来ておりました
怪我をして不自由な身体になってしまうより
即死するほうを望んでいました
なので 私たちはいつも母と約束していました
もしも私たちの中で誰かが重傷を負った時は
武士の道にならって私たちの首を落としてくださいと‥
あの日 被弾して重傷を負った義姉は
「早くこの苦しみを救って下さい
母上、どうぞ私を殺してください」
と、苦しい息の下から頼みました
その声を聞くことは、とてもつらく
耐え難かったです
でも、母の心は
余りのむごい情景にすっかり呑まれ‥
約束を守るだけの強さは
母には残っていませんでした』
登勢さんは拷問のような苦しみを味わいながら
夫 大蔵が到着する二、三時間前に息を引き取りました
目をつぶりたくなるような光景です
とっても切ない 会津武家の女性の死でした
一方、そんな中激しい砲撃の中 こんな笑い声もありました
★八重さん大爆笑
激しい砲弾の雨が降る中 八重さんは砲撃の隙をみて
有賀千代子さんと共に 握り飯を盆にもって
大書院、小書院の病室へ運搬していました
その途中 砲弾が足元で破裂し
八重さん達の廻りは砂塵がもうもうと立ちこもり
目も開けていられない状態になりました
『ゲホッ ゲホッ! 大変な砲撃だったねぇ!千代子さん大丈夫?』
『ゲホッ ゲホッ!私はなんとか大丈夫。ゲホッ!八重さんこそ大丈夫?』
やっと目をぬぐい、視界が戻ってお互い相手の顔を見たら‥
八重さんも千代子さんもまるで土人形のお化けのよう!
『なによ!その顔!!』
これにはお互い 指をさし合っての大爆笑!
さすがに若い女の子 こんな状況でもケラケラw。
激しい砲火の中
抱腹絶倒の二人でしたが・・・
ふと我れにかえって、見てみると
盆に入れていた握り飯は。。。
蟻塚をそっくり盆に載せたような
ごみいっぱいになっていました
これには二人もがっかり
『あーあ‥』
と深いため息をついた二人でした
この日 西軍が放った砲弾は 二千五百発
総攻撃は翌日も続きます‥