またまたまたまた来ちゃいました
でも、よく考えると
日中にここを訪れるのは
初めてかもしれません
夏の如来堂
もう知らない方はいらっしゃらないと
思いますが おさらいしましょうね
幕末から明治にかけて
日本で起きた大革命
会津は時代の波に翻弄され
その革命を阻んだ賊軍として
近代歴史にその名が刻まれたのでした
でも、会津には義があった
武士として絶対に譲れない
守らねばならない義があった
会津藩主 松平容保公は
会津武士道 会津魂を決して捨てず
あえて火中の栗を拾ったのでした
そんな会津、そして容保公を慕い
最後の最期まで会津に寄り添ってくれた方
斎藤一
新選組三番隊組長
会津新選組隊長
ここ、如来堂は
会津新選組13名が
最期に戦った場所
146年前
慶応四年九月五日
あの日から
まるで時が止まっているかのような
私のパワースポット 如来堂
斎藤さんを感じられるんですよ
七日町にある阿弥陀寺
斎藤一さんの墓
斎藤さんが斎藤と名乗っていたのは
京都時代まで
伊東甲子太郎の高台寺党に密偵として潜入し
新選組に戻った斎藤さんは
名前を山口次郎に改名
会津戦争時は実際は山口次郎だったのでした
会津戦争終了後
さらに名前を藤田五郎に改名
墓は藤田家之墓と刻まれています
墓碑には
藤田五郎の名の隣りに
会津藩士の娘 八重さんの幼馴染の
時尾さんの名前も刻まれています
斎藤さんは72歳で亡くなるその日まで
会津藩士としてすごしました
謎も多い斎藤さん
やっぱり好きなんです