いよいよ明日
八重の桜は若松城下での
戦いが始まります
いよいよ会津編も残りわずかですね…
これから切ない場面の連続になりますが
覚悟を持って見守ります!
そこで今日のブログは
『会津戦争スケッチ紀行』
と題して 会津戦争の舞台となった
場所について鉛筆画風のデッサンで
紹介したいと思います
以前お届けしたモノクロの写真とは
また違った趣きで
会津藩士・そして会津に寄り添ってくれた
たくさんの方々への思いを込めて…
今回は会津戦争の皮切り
母成峠の戦い~鶴ヶ城籠城開始
までの流れの地をお届けいたします
母成峠古戦場
東軍の予想に反して西軍は
この急な峠を攻撃
東軍はあえなく敗退しました…
十六橋
猪苗代湖から流れる日橋川に架かる
この橋を西軍に奪われ
いよいよ戦禍は会津領内へ…
戸の口原古戦場
怒涛の進軍を進める西軍を食い止めようと
十五~十七の少年兵
白虎隊を含む会津軍は
この地で応戦
しかし…ここでもあえなく敗戦
白虎隊はその後
飯盛山での悲劇を迎えるのでした…
戸の口原を突破した西軍は
その勢いを緩めることなく
いよいよ会津城下に
なだれ込んできたのでした
滝沢本陣
松平容保公が陣頭指揮をとっていた
この場所にも敵は急襲
やむなく容保公は甲賀町口郭門を経て
鶴ヶ城に入城
かくして入城の早鐘が鳴り響き
八重さんをはじめ多くの会津藩士の家族が
鶴ヶ城に入城
ここに籠城戦が開始されたのでした
母成峠の戦いからわずか3日
あまりにも早すぎる籠城戦突入でした…
そして、これから1ヶ月
さらに苦しい日々が
会津を待ち受けているのでした…