今日のお話しは
『会津の掟』
八重の桜で有名になった
会津の2つの掟について
お話ししたいと思います
ただお話しするだけはつまらないので
今回は会津藩祖
『保科正之公』が祀られている
猪苗代町 『土津神社奥の院』までの道を
一緒に歩きながら ご紹介しますね
今の土津神社の模様もお楽しみに♪
会津の掟で一躍有名になったのが
まず『什の掟』
写真は、鶴ヶ城会館駐車場に掲げられている
『什の掟』の大看板です(♪宣伝(^з^)♪)
日新館に入学する10歳になるまでの
6歳から9歳までの子供達は
近所の仲間と『什(じゅう)』という
組を作って一緒に遊んでいました。
そして、一日の終わりに
この七項目の『什の掟』を復唱し
その日の自分が行った
振る舞いを思い出し
反省していました
掟に反した時には、罰もあったんですよ!
と頭を下げてお詫びする罰
『シッペヽ( ・`ω・´)ノ』‥チビ八重ちゃんも
やられちゃいましたね
『絶交‥(´・ω・`)』‥一番切なくて重いこの罰は
めったには加えられなかった
そうですが、この罰を受けた子供は
父兄と一緒に什長のところに謝りに行き
許してもらわなければ
什の仲間に戻れなかったそうです
子供達も、こうやって会津士魂を
小さい頃から育んできたのですね
次にご紹介する掟は
会津の大人達の掟
『家訓(かきん)十五ヵ条』
会津藩祖『保科正之公』が定めたこの家訓
有名な第一条も含め
全部で十五ヵ条からなります
一 『大君の義、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以って自らを処するべからず。若し二心を懐かば、則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず』
‥
一 『若しその志を失い、遊学を好み、驕奢(きょうしゃ)を致し、士民をしてその所を失わしめば、則ちなんの面目あって封印を戴き、土地を領せんや。必ず上表して蟄居すべし。』
難しくてさっぱり分からない(>_<)
おおざっぱに言えば
『何があっても最優先で将軍家を守れ!』
『日ごろの振る舞いも武士道を絶対に外れるな!』
という内容ですね!!!
( ・`ω・´)b
おおざっぱすぎてごめんなさい‥
でも、この家訓に従い 会津藩は 幕末の
動乱の中に飛び込んでいったのでした‥
この家訓は、会津の絶対的な法律であり
精神的支柱でした
毎年正月には、この家訓が
読み上げられ
その際は藩主も座を降りて
聞いていました
八重の桜の第一回放映で
容保公が下座で家訓を聞いていたのを
覚えていらっしゃる方も多いと思います
お話ししているうちに
土津神社『奥の院』に到着しましたね
雪の中 静かにお眠りになられている
土津公 名君の誉れ高き
『会津藩祖 保科正之公』に
深く合掌して 今回のお話しは終わりにします
そして、磐梯山
この風景をずっと眺めていたくて
士津公はこの地を安眠の場所に
選んだのかもしれません
(●^o^●)