会津歴史紀行~会津の新撰組編 7月も マニアックに行きますよー~

シリーズ『会津歴史紀行』

7月最初のテーマは!

戊辰会津戦争『母成峠の戦い』以降の

新撰組の会津での道程をマニアック?に紹介します

福良の本陣で白河の戦の傷を癒していた新撰組

120508福良御本陣跡.JPG西軍の侵攻に合わせ北上

慶応四年八月二十一日 母成峠の戦い

120630母成古戦場碑.jpg

120630母成風景.jpg圧倒的な兵力と火力の差に敗戦

東軍戦死者の遺体は地元の方々が

こっそり埋葬してくれましたが 長らくその場所が不明

昭和五十三年に、母成の山中にてようやく発見

現在は慰霊碑も建てられています

120630母成東軍慰霊碑.jpg
120630母成東軍埋葬地.jpg

ここで戦死した新撰組隊士も 東軍兵士と共に

ここに埋葬されていると思います

母成で敗戦後 ちりじりに逃れた新撰組は

八月二十三日 塩川(現在の喜多方市塩川町)で合流

120630塩川.jpg

ここから 大塩裏磐梯温泉に向かい

幕臣 大鳥圭介隊らと共に この温泉に宿泊

120630大塩宿検断屋敷跡.jpg
120630大塩裏磐梯温泉.jpg

ここで新撰組は

函館に向かう『土方歳三』達と

会津に残る事を決めた『斎藤一』達とで

運命を別つことになります

会津に残った『斎藤一』達は大鳥圭介隊と共に

山都(現在の喜多方市山都町)へ

九月二日 山都から西会津へ向かう峠

『陣ケ嶺峠』にて長州藩と戦闘

120630陣ケ嶺峠.jpg同三日、四日と同町『長窪』で戦うも破れ

途中応援に来ていた『衝鋒隊』と共に

神指城 如来堂へ戻ります

そして‥待ち伏せしていた西軍と如来堂の戦い

120630如来堂2.jpg
120630如来堂.jpgここが会津での新撰組最後の戦いの地となりました 

 会津に残った『斎藤一』

『(会津が)落城せんとするを見て、志を捨て去る、誠義にあらず』

と語り、更なる戦いの地を求めて函館に向かった『土方歳三』らと

袂を別ちました

(私は個人的に、両名の生き方のどちらも好きです)

その後 『斎藤一』は会津人として

生涯を貫き 没後は阿弥陀寺に眠っています

 藤田家墓(戊辰後 藤田五郎に改名)

120416斎藤一墓.JPG 九月二十二日にこの阿弥陀寺(JR七日町駅前)で

斎藤一忌が行われます

参考文献:石田明夫先生『考古学から見た会津の歴史』

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