日は差していますが
今日も寒い会津の朝です
朝の最低気温が-8℃
日中の最高気温予想が-2℃
寒い一日ですよー\(◎o◎)/!
さて 今日はいつもとちょっと趣向を代えて
幕末の会津女性達の思いを
句を通して感じてみたいと思います
彼女達があの時あの場面で詠んだ句から
あの時代の会津女性を感じていただけたら嬉しいです
順序不動で紹介しますね
『明日の夜は何国(いづこ)の誰かながむらむ
馴れし御城に残す月影』
慶応四年九月二十二日
(あえて慶応で表記しますね)
【山本八重子】さんが
鶴ヶ城開城降伏日の夜12時頃に
三の丸の雑物蔵の壁に刻書
したといわれる句です
悔しくてやりきれない
八重さんの万感の
思いが込められた絶唱です
『八重の桜』では ここまでは
まだあどけない八重ちゃんですが
この頃はジャンヌダルク
に変身しています
彼女の悔しい心が伝わってきます‥
『手をとりて共に行かなば迷はじよ
いざたどらまし死出(しで)の山路(やまみち)』
【西郷頼母の娘 細布子(たえこ)さん
16歳辞世 下の句】
【同 瀑布子(たきこ)さん13歳辞世 上の句】
西郷一族二十一人の自刃は有名ですね
『なよたけの風にまかする身ながらも
たわまぬ節はありとこそきけ』
ですが
その娘達も辞世を書いています
幼い妹 瀑布子さんが書いた上の句を受け
その姉 細布子さんが下の句を記しました
そしてこの後 二歳・四歳・八歳の
乳児、幼児も含めた壮絶な一族二十一人の
自刃が行われました
敵に辱めを受けたり
味方の足手まといにならぬよう‥
慶応四年八月二十三日
西軍が城下に押し寄せ
鶴ヶ城が籠城戦に突入したその日です‥
『武士(もののふ)の猛(たけ)き心にくらぶれば
数にも入らぬ我が身ながらも』
【中野竹子】さんの辞世
彼女はこの句を記した短冊を
薙刀に結び付けて
涙橋の戦いに挑み
そして 散ったのでした‥
会津坂下町法界寺から鶴ヶ城へ向かう途中
慶応四年八月二十五日です
『夢うつゝ思ひも分す惜むそよ
まことある名は世に残るとも』
【松平照姫】さんが
会津藩開城降伏後
戦争の責任を一身に背負って切腹した
会津藩家老 萱野権兵衛にあてた句
切なくやりきれない照姫様の
思いが込められています
これらの句から 彼女達の思いと
会津女性の芯の強さが
伝われば幸いです