会津の掟

今日のお話しは

『会津の掟』

八重の桜で有名になった

会津の2つの掟について

お話ししたいと思います

ただお話しするだけはつまらないので

今回は会津藩祖

『保科正之公』が祀られている

猪苗代町 『土津神社奥の院』までの道を

一緒に歩きながら ご紹介しますね

今の土津神社の模様もお楽しみに♪

130123士津入口.jpg

会津の掟で一躍有名になったのが

まず『什の掟』

120407什の掟.JPG

写真は、鶴ヶ城会館駐車場に掲げられている

『什の掟』の大看板です(♪宣伝(^з^)♪)

日新館に入学する10歳になるまでの

6歳から9歳までの子供達は

近所の仲間と『什(じゅう)』という

組を作って一緒に遊んでいました。

そして、一日の終わりに

この七項目の『什の掟』を復唱し

その日の自分が行った

振る舞いを思い出し

反省していました

掟に反した時には、罰もあったんですよ!

130123鳥居.jpg『無念(>_<)』‥みんなに「無念でありました‥」

と頭を下げてお詫びする罰

『シッペ( ´)』‥チビ八重ちゃんも

やられちゃいましたね

『絶交‥ω`)』‥一番切なくて重いこの罰は

めったには加えられなかった

そうですが、この罰を受けた子供は

父兄と一緒に什長のところに謝りに行き

許してもらわなければ

什の仲間に戻れなかったそうです

子供達も、こうやって会津士魂を

小さい頃から育んできたのですね

130123階段.jpg

次にご紹介する掟は

会津の大人達の掟

『家訓(かきん)十五ヵ条』

130123士津本堂.jpg

会津藩祖『保科正之公』が定めたこの家訓

有名な第一条も含め

全部で十五ヵ条からなります

130123参道下.jpg

一 『大君の義、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以って自らを処するべからず。若し二心を懐かば、則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず』

一 『若しその志を失い、遊学を好み、驕奢(きょうしゃ)を致し、士民をしてその所を失わしめば、則ちなんの面目あって封印を戴き、土地を領せんや。必ず上表して蟄居すべし。』

130123奥の院入口.jpg

難しくてさっぱり分からない(>_<)

おおざっぱに言えば

『何があっても最優先で将軍家を守れ!』

『日ごろの振る舞いも武士道を絶対に外れるな!』

という内容ですね!!!

( `ω・´)

おおざっぱすぎてごめんなさい‥

でも、この家訓に従い 会津藩は 幕末の

動乱の中に飛び込んでいったのでした‥

130123参道上.jpg

この家訓は、会津の絶対的な法律であり

精神的支柱でした

毎年正月には、この家訓が

読み上げられ

その際は藩主も座を降りて

聞いていました

八重の桜の第一回放映で

容保公が下座で家訓を聞いていたのを

覚えていらっしゃる方も多いと思います

130123奥の院.jpg

お話ししているうちに

土津神社『奥の院』に到着しましたね

130123士津公墓.jpg

雪の中 静かにお眠りになられている

土津公 名君の誉れ高き

『会津藩祖 保科正之公』に

深く合掌して 今回のお話しは終わりにします

120123士津公墓拡大.jpg奥の院から眺めることの出来る猪苗代湖

130123猪苗代湖.jpg

そして、磐梯山

130123磐梯山.jpg

この風景をずっと眺めていたくて

士津公はこの地を安眠の場所に

選んだのかもしれません

(●^o^●)

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