幕末戊辰 会津戦争へのタイムスリップ
144年前の今日 慶応四年九月三日
新撰組が越後口北部戦線を戦っている144年前の今ですが
それと平行して ここ 日光口南部戦線でも 会津軍と西軍の
熾烈な攻防が繰り広げられています
今日は 城外戦の中でも熾烈を極めた
『関山の戦い』にタイムスリップ
関山 現在の会津美里町 旧本郷町
美里から大内宿へ向かう下野街道の途中にある集落です
鶴ヶ城を包囲して攻撃中の味方の兵力を補うために
西軍は日光口から進軍し 大内村に宿営していました
会津軍としては これ以上の西軍の兵力が城下に
集結することは なんとしても避けたい状況です
そんな状況の中 九月一日未明 家老山川大蔵率いる
会津・幕府兵が西軍に銃撃を行いました
これに反撃しつつ、西軍は大内峠に進軍
しかし 会・幕軍の攻撃は厳しく 一旦大内村に撤退
この墓は西軍の戦死者の墓です
翌二日早朝 西軍は再び進撃を開始
一挙に攻め入ろうとしましたが
会・幕軍の徹底的な抗戦にあい
氷玉峠で苦戦。この日はそれ以上進めませんでした
西軍は 軍監 中村半次郎が直接指揮をとり
氷玉峠を攻め降りました
氷玉峠のふもと 栃沢集落を攻略
関山に進出してきました
耐え切れず 退去しました
その際 この集落は敵の進撃を阻止せんと
会・幕軍により全戸 兵火にかけられました
この一連の戦いにおける会・幕軍の戦死者は
約四十名にも及び 関山にはその墓が今も残ります
会津はますます包囲された形となりました
以上 144年前の今日からでした