『廊下橋』
一般的なこの名前の意味は‥
(1)屋根を設けた、廊下に似た橋
(2)城の濠(ほり)にかけた、屋根や壁のある橋
(三省堂 大辞林より引用)
実は実は 鶴ヶ城にも
廊下橋があるのです
本丸から二の丸へ抜けるこの橋
あれ?屋根も壁もない
‥(。・ω・。)?
屋根や壁があるのが廊下橋!
鶴ヶ城のは 廊下橋じゃ
ないじゃないですかぁー!!!
ヽ( ・`ω・´)ノ
と、怒らないでくださいねー
((((;゚Д゚)))))))
鶴ヶ城の歴史は
足利義満の時代まで
さかのぼるのでした
一旦伊達政宗さんが手にし
蒲生氏郷さんが改造し
加藤嘉明さんが入封
その子の明成さんが増築し
その後に会津藩祖
保科正之公が入り
以後会津松平家の居城になったのです
はぁ! いろんな名前が出てパニック(>_<)
ようするに会津藩以前からの
古い歴史を持つお城なのですね
( ・`ω・´)b
加藤氏の時代以降は裏口のような
扱いになった廊下橋ですが
蒲生時代までは正面入口だったのです
屋根が付いていたということです
そう!『廊下橋』だったのです!!!
だから今でもその名が残り『廊下橋』
やっと廊下橋という名前に
納得してもらえましたねー
(ノ*´∀`)ノ
戊辰戦争の時には
八重さんがこの橋を渡って入城しました
そして、一ヶ月にも及ぶ
会津の長い戦いが始まるのでした‥
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