今日は会津のメジャー観光スポット
大内宿の今を紹介します
ただ紹介するのでは
面白くないかな?と思ったので
道すがら
戊辰戦争の跡を辿りながら
大内宿に向かいたいと思います
スタートは会津美里町から向かう
『大内宿こぶしライン』
山あいの集落 関山地区
集落を抜けると
すぐにあるのがこれ
戦死四十人墓
慶応四年九月一日~九月三日
会津藩家老山川大蔵隊が
大内宿に陣取る西軍に攻撃を仕掛けました
一時は優勢に戦を進めましたが
九月二日三日 西軍の猛反撃にあい
撤退 その時戦死した藩士の墓です
更に歩を進めると 次の集落
栃沢に入ります
この集落を抜けてすぐに
旧会津西街道
通称下野(しもつけ)街道に入る道があります
ここを入って数百メートル
会津戦役七士之墓
小さな小さな墓石がひっそりと立っています
道を戻り 山道を登ると
見えるのは氷玉峠
ここでも戦いが行われました
そして上りきったところにある大内ダム
これは人工ダムなので
当時はここに湖はありませんでした
ダム建設に伴い移設されて
今でも山あいにひっそりと立っているのが
戦死二十四人墓
この墓は この戦いで戦死した
西軍の兵士の方々の墓です
歴史の跡を辿りながらここから数キロ進むと
大内宿に到着です
日没寸前の夕方のこの日
通りには一人の姿も見えませんでした
通りを歩くと茅(かや)が積み重ねられていました
屋根の補修するのかな?
戊辰戦争の時
幸い戦禍を免れたこの集落
今でも当時の面影をそのまま残しています
いつまでも変わって欲しくない
会津の風景が ここにあります