幕末会津戦争へのタイムスリップ
144年前の今日 慶応四年八月二十六日は
悲惨な会津戦争の中で 唯一と言ってもよい
痛快な出来事があった日でした
★敵前堂々入城 山川大蔵
怒涛の如く若松城下に押し寄せた西軍に対し
会津の主力部隊は全て国境守備のため出陣しており
城中は手薄でした
日光口の守備から帰城の途についた山川大蔵は
田島を出立
大内宿を経て
若松から一里ほどの地点にある下小松村
(現在の会津若松市北会津町)に着きました
そこから密偵を放って城下の様子を探らせたところ
西軍は既に城を包囲しており
城内には蟻の這い入る隙もないというこでした
大蔵はその夜 密かに一計を案じました それは‥
この村に伝承されている彼岸獅子の
鼓笛を利用して軍楽隊を組織し
さながら西軍の別働隊に見せかけて入城しようというもの
大蔵は、村の長老達を呼んで協力を求めました
長老達は「松平三百年の恩顧に報いるのはこのとき!」
と 村人を集め、少年獅子隊を結成
八月二十六日未明 彼等を先頭に立てると
「通り囃子」を吹鼓しながら 西出丸から堂々の進軍を続けました
西軍はこの異様な鼓笛の音に
銃をつえにして ただ呆然と見送るばかり
ついには千五百名が誰も負傷することなく
見事 無血入城を果たすことができました
これには 城内にいた藩兵も大喝采!
籠城中の将士達は大蔵のこの入場によって士気を盛り返し
藩主容保公もまた 涙を流して喜び
大蔵の機知をおおいに賞賛しました
~山川大蔵~
「鬼佐川」「知恵山川」と敬意を持って呼ばれ
家老 佐川官兵衛と共に藩兵に慕われた人物です
今日のタイムスリップはこの一件だけにします
悲惨な会津戦争ですが
今日一日くらいは 痛快なまま終わってもいいですよね