今日のブログは久々の
歴史探訪を行いましょう
今日紹介する場所は会津若松から
越後街道を西に向かった
会津坂下町
町中にあるこのお寺
法界寺
このお寺には ある有名な方が
眠っていらっしゃいます
『小竹女子之墓』
小竹女子‥その人誰?と思う方も
いらっしゃいますね
『中野竹子』といえば
あぁ!と分かってくださいますね
幕末戊辰会津戦争に
娘子軍を率いて涙橋(柳橋)の戦いで奮闘
敵の銃弾を被弾し 戊辰の華と散った
会津の烈婦 中野竹子さんの墓です
被弾し、瀕死の重傷を負った竹子さんは
介錯され、その
首が埋葬されたのが
ここ、法界寺です
墓の敷地には 彼女の辞世
『武士(もののふ)の 猛きこころにくらぶれば
数にははいらぬ我が身ながらも』
と刻まれた碑が
また、墓石の字が風化して見えなくなる前にと
墓石の句を刻んだ碑も
会津坂下の地で大切に守られている
竹子さんの墓
そして、ここ法界寺には
戊辰役殉難碑もあり
戊辰戦争で戦死した方々を弔っています
竹子さんの妹『優子さん』の
ひ孫さんが奈良よりこの墓を訪ねた際
句を書き残されていきました
『われを抱き 頬寄せましし おほははの
息かと思ひぬ 会津の風は』
(おほはは:大母 優子さん)
会津の烈婦 中野竹子さんは
今も ここ法界寺で静かに眠っておられます