144年前 慶応四年八月十六日
南会津 只見町で 一人の侍が亡くなりました
越後長岡藩の家老だった彼は
戊辰戦争にて西軍と対峙
会津の佐川官兵衛らと共に
越後戦を戦いました
敵の銃弾で重症を負い
会津へ向かう途中八十里越を越え
今の只見町(当時塩沢村)にて死亡しました
越後戦はとても激しい戦いでした
彼もまた 武士としての筋を通して
戦った人です
彼の遺体は荼毘に付され
会津若松市建福寺の山あいに埋葬されました
残った骨は 只見町 医王寺にて
村人の手により手厚く葬られています
会津戦争が始まる約1週間前
彼が読んだ自虐の句
『八十里 腰抜け武士の 越す峠』
そんなことはありません!あなたは最後まで
武士道を貫き通し、自分の義を守り通した方です
ここに 最後まで会津の友だった彼の冥福を
心より祈ります…