幕末へタイムスリップ これが俺達の戦いだ!時守達の意地

幕末戊辰 会津戦争へのタイムスリップ

144年前の今日 慶応四年九月六日

今日は 会津戦争の最中 一刻も欠かすことなく

正確な時を伝え続けることで西軍と戦った

こんな方々についてご紹介します

★鐘が俺の刀だ! 確かな時を刻み続ける 時守達の意地

120731鐘撞堂.JPG

鶴ヶ城西出丸にある 鐘撞堂

会津藩は 時守(ときもり)を置き 昼夜この鐘を撞き

正確な時刻を城下に報じていました 

籠城戦をしいている最中も 鶴ヶ城の中から

この鐘は 正確に時を報じ続けていました

120831鐘撞堂.JPGどんなに砲弾を打ち込まれても

この堂から打ち鳴らされる鐘の音は

少しも時を狂わず 堂々としていたそうです

鐘撞堂付近から見える鶴ヶ城です

120808西出丸石垣上.JPG西軍の兵士にとっては それが しゃくに障る存在でした

この鐘撞堂を狙って ますます砲撃を集中させました

当時の時守は 長谷川利三郎(七十二才)

そんな危険極まりない状況の鐘撞堂ですから

城兵らは利三郎の 勇気を賞賛するとともに

危険だから避難したほうがよいと声をかけてくれました

しかし この老人は

「鐘撞堂は私の戦場!例えこの身が弾丸に貫かれたとしても本望です

だからあなた様達こそ、この様な危険な場所から早く離れ

自分の部署をしっかりとお守りください!」

と、逆に城兵に元気を与えていたそうです

120831鐘撞堂2.JPG

一方、城外で戦う会津藩兵や

遠隔地へ避難した者達は

この鐘の音を聞いて「今日も お城は無事だ!」

と勇気付けられていたそうです

しかし 九月十五日の西軍総攻撃の際

利三郎はついに敵弾に倒れてしまいました

時守の任は すぐに上野磯次郎が継ぎましたが

彼もまた、翌十六日に被弾し、壮絶な戦死

そこで、面木三平らが 家老 山川大蔵にお願いし

その後を継いで 時を報じ続け

結局 開城の最後の最後にいたるまで

この鐘の音が絶えることは

一度なりとも無かったそうです

西軍の兵達もついには根気負けし

最後にはこの鐘の音を重宝がるようになり

懐中時計を持っているものは鐘の音で時間を合わせたり

他の人たちも この鐘の音で時刻を知るようになったということです 

これも会津の意地

会津の時守達の 意地を貫き通した戦いに 拍手喝采です

20120403鐘撞堂.JPG

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