今日は久しぶりにちょっと歴史の話し
幕末戊辰戦争
越後戦線の白虎隊に
目を向けてみたいと思います
白虎隊
戸の口原の戦いに敗れ
飯盛山で壮絶な自刃を遂げた
少年たち
会津といえば思い出す
悲劇の象徴です
今日は鶴ヶ城の城下から
はるかに離れた
越後戦線でも
白虎隊の少年たちが出兵し
そして果てているという事実を
知っていただければと思います
今日ご紹介するのは現在の
新潟県五泉市と阿賀町
慶応四年八月
戊辰の戦火が二本松を襲っていたその頃
越後口でも激しい戦いが行われていました
白虎隊の寄合一番隊
そして寄合二番隊の少年たちも
それぞれの守備に付いていました
八月十日
今の新潟県五泉市佐取で
西軍と戦った会津藩
殉死しました
享年 十六
同地内長徳寺の境内に
彼のお墓は大切に守られています
佐取の戦いでは他にも
百瀬外次郎、小松八太郎も負傷し
その後若松に帰ることなく亡くなりました
佐取での戦いに押され
敗走する会津軍
母成峠が破られたの報を受け
若松への撤収の最中
今の新潟県阿賀町津川にて
敵の砲弾を受け
白虎隊寄合一番隊
藤森八太郎が即死
慶応四年八月二十五日
享年十六
彼の墓は津川町 新善光寺で
大切に守られています
観光の方が訪れることは
少ないかもしれないけど
こうして白虎隊士の方々の墓は
飯盛山以外にもあります
そして その土地その土地で
大切に守ってくださっていることに
深く感謝します
合掌…