★娘子軍 入城出来ず
登城を促す早鐘が城内になりひびく中
間に合わず入城出来なかった人々もいました
『中野竹子』
後に娘子軍といわれる 婦女薙刀隊の隊長です
母こう子 妹優子とともに鶴ヶ城に駆けつけた時
城門は既に固く閉ざされていて 中には入れませんでした
同じように入城出来なかった仲間と落ち合い
照姫が既に坂下に立ち退かれたという情報を得て
その護衛に当たろうと坂下に向かいました
しかしながら、結局その情報は誤報
その日竹子達は 坂下の法界寺に宿泊しました
このとき誰も 夢にも思っていません‥
★新撰組 別離の時
一方 母成峠の戦いに破れ
一旦若松城下にちりぢりに逃れた
土方歳三、斎藤一 ら 新撰組の同士達は
塩川で再び合流 そのまま、現在の北塩原村
大塩裏磐梯温泉に集結しました
ここで 土方歳三と斎藤一は 袂を分かつ事になります
更なる戦いの地を求め、函館へ向かう土方と
義を最優先にして会津と共に死ぬことを決意した斎藤
どちらの覚悟も すごいことだと思います
(私は個人的には、二人の生き方のどちらも好きです)
かくして、この日この場所で
長年の同士だった土方と斎藤は
違う道を選び分かれました
会津に残った新撰組隊士は
斎藤一以下 十三名でした
(※斎藤一はこの時は山口次郎と改名していますが
このブログでは一般的に知られている斎藤一で通すことにしました)
★八重 夜襲に出る
入城したその日
八重は、親友の高木時尾(後の斎藤一の妻)に
髪を切ってもらいました
城内で断髪した女性は 八重が初めてでした
その晩 八重は銃を携え 夜襲隊と共に
正門から出ました
敵は混乱し、右往左往しました
もちろん 夜襲に加わった女性は 八重ひとりでした
この日は会津の各地で
まだまだ色々な出来事があった日ですが
とても語りきれないので
八月二十三日へのタイムスリップは ここで終了します
以上 戊辰戦争で一番血が流れた144年前の今日でした