廊下橋

『廊下橋』

一般的なこの名前の意味は‥

(1)屋根を設けた、廊下に似た橋

(2)城の濠(ほり)にかけた、屋根や壁のある橋

(三省堂 大辞林より引用)

実は実は 鶴ヶ城にも

廊下橋があるのです

130205斜め左.jpg

本丸から二の丸へ抜けるこの橋

あれ?屋根も壁もない

‥(。・ω・。)?

屋根や壁があるのが廊下橋!

鶴ヶ城のは 廊下橋じゃ

ないじゃないですかぁー!!!

( ´)

と、怒らないでくださいねー

((((;゚Д)))))))

130205斜め右.jpg

鶴ヶ城の歴史は

足利義満の時代まで

さかのぼるのでした

130205右拡大.jpg葦名氏が建てた黒川城が始まりといわれ

一旦伊達政宗さんが手にし

蒲生氏郷さんが改造し

加藤嘉明さんが入封

その子の明成さんが増築し

その後に会津藩祖

保科正之公が入り

以後会津松平家の居城になったのです

はぁ! いろんな名前が出てパニック(>_<)

ようするに会津藩以前からの

古い歴史を持つお城なのですね

( `ω・´)

加藤氏の時代以降は裏口のような

扱いになった廊下橋ですが

蒲生時代までは正面入口だったのです

130205右広角.jpgなので、葦名時代には

屋根が付いていたということです

そう!『廊下橋』だったのです!!!

だから今でもその名が残り『廊下橋』

やっと廊下橋という名前に

納得してもらえましたねー

(*´∀`)

戊辰戦争の時には

八重さんがこの橋を渡って入城しました

130205正面.jpg

そして、一ヶ月にも及ぶ

会津の長い戦いが始まるのでした‥

130205鶴ヶ城麟閣裏より.jpg

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