2012年6月アーカイブ
梅雨明けの近づきを感じる晴天の今日この頃
今日は 来年の大河『八重の桜』主人公
山本八重子さんと肩を並べる
戊辰 会津戦争の烈婦
『中野 竹子』さんの跡を訪ねてきました
娘子軍隊長 中野竹子(当時22)
会津藩士 中野平内の長女
母 孝子(こうこ)(当時44)妹 優子(当時16)
慶応四年八月二十三日朝
西軍の鶴ヶ城への侵入があまりにも早かったため
入城に遅れた彼女等は照姫様が坂下にいるとの情報を聞き
照姫様をお守りしようと、会津坂下町法界寺に宿泊
二十五日坂下から若松に向かって進軍する
『衝鋒隊(しょうほうたい)』に従軍
『涙橋』において長州・美濃・大垣連合の西軍と激突
上の2枚の写真は 涙橋の近く 竹子殉節の地に建てられた銅像と碑です
竹子は 妹優子に介錯され その首は
法界寺に葬られています
墓碑には『小竹女子之墓』と刻まれています
竹子辞世碑
『武士(もののふ)の猛きこころにくらふれは 数にも入らぬ我が身なからも』
その後娘子軍は無事入城を果たし
城内にて大いに活躍しました
また、入場後、竹子の母 孝子さんは八重さんに
『何故 娘子軍に入らなかったのですか?』
『私は鉄砲で戦う考えでおりましたので』
というような会話があったと聞きます
その後会津は九月二十ニ日朝、ついに開城・降伏
その後も会津の苦難は続いていくことになります
法界寺 竹子さんのお墓の横に
この様な句が飾られていました
この句の作者『高蘭子』さんは天理市に住む
『中野優子』さんのひ孫さんだそうです
いくつか詠んでみたいと思います
わが母のそのまた母の母たちが 戦ひし野ぞ吾娘とめぐれる
われを抱き頬寄せまししおほははの 息かと思ひぬ会津の風は(大母:優子)
昨日の台風は
全国的なニュースでしたね
幸いにも会津地方は
それほどの被害もなく
朝には何事も無いように
過ぎ去っていった感じでした
ただ 昨日の風で
家の周りのホタルが
どこかに飛ばされていないか
心配です‥
今夜 確かめなきゃ!
6月14日
この日は新島八重(山本八重子)さんの命日
昭和七年六月十四日
波乱に満ちた 八十八年の生涯を終えました
会津に八重さんのお墓はありませんが
八重さんが建てたお墓をお参りしてきました
場所は 会津若松市 慶山にある
大龍寺
飯盛山通りの東山へ向かう途中にあるお寺です
『ゆうれいのあしあと』で知っている方も
いらっしゃると思います
ここの墓地にひっそりと『山本家之墓』があります
前来た時は何も無かったけど
今は案内看板が建てられているので
迷うことなく探せますよ
この墓は 昭和六年九月
当時八十七歳の新島八重さんが建立したものです
亡くなる一年前に建立しました
墓碑の裏を見ると
見えますか?まぎれもなく
『新島八重子』の名が刻まれています
八重さんが会津に残した数少ない跡のひとつです
この墓を通して 遠く京都に眠っている八重さんに届きますように‥
合掌
みなさん 5月26日の
『ふくしまフェスティバルin会津』
行きましたか?
私は行けなかったのでした
(ToT)
でもでも!!!
素敵な写真を頂いたので紹介しまーす
(((o(*゚▽゚*)o)))
まずは永遠のアイドル
【ミッキー&ミニー】
ヽ(•̀ω•́ )ゝ✧
キャー!ミッキー!!!
見ている人の興奮が伝わる様です
(*´∀`)
続いては
【大蛇!!!】
すごい!大きい!!大迫力!!!
(ノ*´∀`)ノ
そして そして お父さんお待たせの‥
【サンバ!!!】
わぁ!
((((;゚Д゚)))))))
綺麗!!可愛い!!!素敵!!!!
お父さん デレデレ見てはダメですよ
ヽ( ・`ω・´)ノ
子供も大人も お父さんも
楽しんだ夜♪
最高に楽しい夜でしたね
(((o(*゚▽゚*)o)))
5月最後の31日
この日はとても天気がよくて
まさに五月晴れ♪
そこで 今回は『ぶらり会津旅』
目に止まった風景をぱちぱち撮りながら
ぶらぶら♪
ぶらり会津~湖南の旅をお楽しみください(#^.^#)
順不同でお送りします♪
田んぼの中の『さぎ』 田んぼは苗が揺れてます
森の小道。 たんぽぽの綿帽子
小川のせせらぎ 水芭蕉
磐梯山♪ 飯豊山♪
あ!とんぼ!!もう? 塩からとんぼ?うそ!
原生林 道端の碑
布引風の高原 たくさんの風車 季節ごとの花が楽しめます
帰り際 夕暮れの飯豊山 薄暮に染まる山々
何気ない風景にこそ 本当の美があると感じた一日でした♪
とても美しい私たちのふるさとです
自慢のふるさとです
(#^.^#)